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山田塾長正直日記

2024年04月25日
んもうっCM〜っ


よくここでもお話すんだけども、
僕は今、小説を朗読するYouTube動画をエンドレスで流して、
それを聴きながら“いつの間にか寝る”ってな睡眠法で就寝してんだよね。

眠れない人の睡眠手法として、かつて“聞こえるか聞こえないかの音量でラジオを流しておく”ってのもあって、
以前それを試してて、一応は気付かない間に寝てるってのはその通りだったものの、
やっぱ僕なんかは音楽が好きなんでついつい「ほぉ〜ルビーの指輪かぁ…懐かしいなあ」と気にしちゃう、
何なら♪きがっかわらぬぅ〜うちっにはやっくぅ〜♪なんて歌っちゃったりもして結局眠れない、
それで、ラジオに替わるなんかないかなあと考えた末に、そうだ小説朗読だ、と思い付き、今に至んだよね。

以前もお話したけども、
小説っつっても僕の場合はもう読んだことのある小説一択で、
つまり、ふと目を覚ました時にたまたま聞いちゃった箇所がその小説の結末だった場合「うわぁ〜聞いちゃったぁ〜」となる、
これを避けるための措置として、結末も知っちゃってるもんをチョイスすんのであります。

で、
睡眠のために小説をチョイスする条件としては“読んだことのある小説”で良いんだけども、
もう一つ、最近急に悩まされ始めて追加されたんが、“途中で広告が流れないもの”ってな条件で、
これが今、なかなかに悩みどころなんだよね。

ていうんも、
僕は元々寝るために聴いてんので音量は小さくしてる、ところがTVでも何でも、CMって普通より大きな音量で流れて来る、
なんで予め“広告なし”で検索して表示されたもんの中から選んでんだけども、
何故でしょーか、にも関わらずごくたまにCMが挟まれることがあんのであります。

僕は、女性を含む3名の方のチャンネルを気に入ってて、
その方々の動画は“広告なし”の検索でも表示される如く、確かにほぼほぼ途中でCMが流れるこたーないんだけども、
何故かホントに時々、100回に1回くらいの割合かしら、急にCMが流れることがあんだよね。

CMも、途中広告なしってのがあって、
そういう場合は動画が始まる前とか、終わった後とかに流れんので、
エンドレスで聴いてる場合は確かにCMが流れるタイミングはある、でも僕が選んでんのは全くCMなしのもんで、
しかも途中で流れること自体おかしな話なんであります。

これがまたさぁ、寄りにもよってうとうとし掛けた丁度そのタイミングで「薄毛でお悩みのみなさ〜んっ」とか始まんのよ。
もー折角寝始めたのにぃ〜と余計イライラしちゃうんだよね。そりゃ薄毛で悩んでるけども。

睡眠を妨げられることほど不快なもんはないんで、
んじゃあってんで、たまにある6時間ぶっ通しだとか、
もし前後に広告が入っても、まだ寝入る前かもう起きようとする時間に流れるってのを選んでみたんだけども、
まず、んなに長い小説の朗読はまだ読んだことがないもんか結局広告が入っちゃう動画だし、
小説の朗読は諦めてよくある“雑学紹介”なんかを選んでみても、今度はどうしても声が気になるor気に入らないがあり、
今んとここれだってのが見当たらないんだよね。

いつだったか、雑学の動画を聴きながら寝ようとしてて、
たっくさん流れて来る“雑学”ん中で、「天才バカボンに登場する“レレレのおじさん”は電気屋の社長」ってのがあり、
「や、俺は今寝ようとしてんのだ、無視だ無視っ」と思おうとした刹那、
結局堪え切れずにぷっははははとなってツボにはまって寝られなくなったことがありましたレレレのレ〜。

根本的なお話になっちゃうけども、
寝られない寝られないと思うと余計眠れない、いわば強迫観念的なとこに陥っちゃう、んでその症状こそが眠れない原因だったりすんので、
眠れない時の対処法として“寝ない”ってな選択肢もあんでしょ?

これは、学者さんが説いてたことなんだけども、寝らんない時はもう、思い切って起きてしまって読書とかしちゃう、
そうして、寝なきゃいけないってな思いから一旦離れると、意外に普通に眠くなったりする場合がある、
んな方法もあるらしいんだよね。

過去に一度、これ試したことがあったんだけども、確かに2〜30分すると眠気が襲って来ました。
これがまた、床に就くと目が冴えるじゃんかよーってパターンもあんだけども、少なくともイライラはしない感じでした。

それにならって、僕は反対に“読んだことのない小説の動画をしっかり聴く”、結末まで絶対寝ないぞと思いながら聴く、
これを試してみました。

…結末聴く前に寝てました。



んじゃまた明日!
2024年04月24日
過去の経験が活きたというお話


つい10日くらい前、
“国税局から”として一通のメールが届いたんだよね。

偶然にも、僕は昨年分の確定申告に於いて、あれ?なんかいつもと違う様な…と思うちょっとした案件があって、
やっぱりあの件なんか間違えてたんかなと思って、早々にそのメールを開きました。
以下、それをそのままスクショした画像です。



僕には一応心当たりがあんので、
それだけに僕の頭ん中は「きっとあの件だ」ってな軽い思い込みがある、尚且つそれがもし問題なら然るべき処置をしないといけない、
んな焦りもあって、このメール、何回か読み返しました。
「ん?まてまてまて」
面白いもんで、ある種の勘が働いたんでしょーな、
僕は一旦このメールを閉じて、ゆっくり考えてから《→専用リンク》をクリックしようとメールを閉じました。

皆さんは僕よりも早く「怪しい」と思われたと思うけども、
何せ僕にはそもそも「前回あれで良かったんかな」の不安があんので、前述した様に「多分あの件だ」ってな先入観がある、
んでその先入観でこのメールを読んでんので、頭ん中で「一読して理解出来んのは焦ってるせいか?」なんて思っちゃう、
そこで、一旦閉じて考えることにしたんであります。

や、よくよく思い出してみるとやっぱこのメール変だ、
考えてみてやっと僕もそう思い当たり、このメールのタイトル丸々コピペして、ネットで検索してみました。
はい、案の定これは国税局を騙った偽メールだってことが解かりました。
《専用リンク》を踏まなくて良かったです。

そうと知って改めて見てみると、や、このメールはもう何もかもおかしい、怪しさ満載のメールです。

まず“国税局からのお知らせ”がおかしい(具体的案件の表示がない)、
“誠にありがとうございます”がいきなりあって、しかももっかい被ってる、
“確認対象となるべき事由がないことが判明いたしましたことをお知らせします”の“確認対象”の意味が解かんないし、
それにこれ、日本語として文章がおかしいよね。
■精査致しました結果、○○様の確認対象となるべき事由(なんだこれ)が消失していることが判明致しました。
つきましては○○を○○して頂きますようお願いいたします
直すとしたらんな感じかしら。

“信用の確認結果を詳細に更新し”に至ってはもう、
自分が一度でも信じて読み直しちゃったことを恥ずかしいとさえ思うレベルだよね。なんだ“詳細に更新し”て。


ちょっと巧妙だなあと思ったんは“4月2日10時36分〜”の部分で、
このメールが届いたんがつい5日くらい前、つまりその時点で期限を過ぎており、
もしこれがわざとだとしたら、期限が過ぎちゃってることに焦ってついつい《→専用リンク》をクリックしちゃう、
これを狙っての敢えてのミスなんかなあと疑っちゃいました。

以前『正直日記』でお話した、Amazonを騙った偽メールを見破った時もそうだったんだけども、
僕はかつて、ほんの触りの部分だけだけどもコピーライティングや広告デザインに携わってて、センスはないけど一応は勉強した、
それと、元々広告とか看板とかのデザインや文章そのものに興味があった、
素人ながらもんな下地(?)があったんで、メールのデザインや文章、改行のタイミングとかの違和感を感じて、
不審に思えたんじゃないかなあと思います。

そういやあ今回の偽国税局メール、
以前あったAmazonの偽メールよりは多少日本語はマシだけども、それでも細かく見ていくとやっぱりおかしい、
よくある翻訳サイトで日本語作ったよーな文章なんで、
やっぱ外国の悪いグループがこういうことしてんのかなあとも思います。
とにかく騙されるってのは悔しいし、特に被害がないとしてもあんま遭いたくはないもんですな。

インターネットを始めてまだ間もない頃、詐欺メールの存在そのものをまだ知らなかった僕は、
一度だけ詐欺メールをクリックして返信しちゃったことがありました。
それは、間違いメールを装ったやつで、僕はご丁寧にも「こちらは○○です。お間違えかと思います」なんて返しちゃいました。
その頃は偽メールもあんまシステム化されてなかったんか、僕のその返信にもっかい返信が来て、それが怪しかったんで気付きました。
(アドレスがリンクされていて、ここにメール下さい的な感じ)

僕は、一度だけのその経験で警戒心が出来たし、加えてデザインや文言から「怪しい」と勘繰ることが出来る、
これは結果的に良い感覚を持てたなあと自己満足しています。

皆様もどーか色んな詐欺にはお気を付け下さいませ。



んじゃまた明日!
2024年04月23日
最後の1枚パラドックス、正解やいかに


途中4日間だけ違うメニューを食べたんだけども、
結局トータルで3週間、しらす丼を食べ続けて来たってな結果となりました。
あー“結果となりました”つっても、正確にはまだ「来週から変えようかな」と思ってるだけで、
もしやまたしらす丼ってことも全くない訳ぢゃありません。可能性としては低いですけども。

これもおかしなもんで、今日もしらす丼かぁとふと思うと、まだ食べてもない段階で「あああの味ね」とある意味飽きてる、
でも飽きてるからと言って食べたくないとまでは思わない、惰性とまでは言わないけども、別に良いかとしらす丼をこしらえる、
こん時に、まず、炊いたご飯に具材をそのままトッピングするだけってな手軽さがあって(なんも炒めたり茹でたりしない)、
ひとつひとつ具材を乗せてく内に、飽きたとはいえお腹は空いてんので期待感は高まる、
つまり、何日何回続けて食べても、その一回一回でリセットされてるみたいになんだと思うんだよね。

カレーはちょっと中毒性があったかしらと納得だけども(かつてカレーを2ヵ月くらい続けて食べた)、
さすがにしらす丼には中毒性はないと思う、んー強いて言うならごま油は癖になるかなあとは思うけども、
久し振りに長期連続でも毎回美味しいと思って食べられるメニューに出会い、
しらす丼も2ヵ月くらい続けてみようかしらと思わないでもない、んな感じです。

なんも考えないでスーパーから帰って来られる、なんも考えないで一食出来上がる、
しかも美味しいと来たら、んもう便利この上なしですな。

さて、今日のお話は、もう何年も変な感じで過ごして来た、個人的なパラドックスのお話、
別に考えなくても良いし正解なんてなくても良いけどちょっと気になる、“最後の1枚”パラドックスのお話です。
「細かいことはいいんだよっ」なお話なれども、どーか宜しければお付き合い下さいましな。

皆さんは如何でしょーか、
僕は部屋に2つ、キッチンに3つゴミ箱を置いてんだけども、
現状使ってるゴミ袋を取って縛ってゴミ収集に出す、そん時いちいちまた新しいゴミ袋を出して来んのが面倒なんで、
予めゴミ箱の底に数枚、次使うためのゴミ袋を入れて置くんだよね。

で、
例えば5枚ストックを入れておいたとしたら、残り4枚、3枚、2枚と段々それが減っていくことになんでしょ?
んで残り2枚ん時に、その内の1枚を使ってゴミを入れようとする、としてさ、
この時点でゴミ袋は、今かから使おうとする1枚と、ストックとして残ってる1枚の合計2枚になるよね?

僕の場合、ここで“最後の1枚の存在って何なのさ?”のパラドックスが起きんのであります。

つまりこういうことです。
残り2枚の状態で、1枚にはゴミを入れていく、やがてそれをゴミ収集に出す、
んでストックしてあった“最後の1枚”を使おうとした時点で、
その最後の1枚をセットする前に、5枚なら5枚、またストックを追加しておくでしょ?
てことは、最後の1枚を使おうとする時点で追加してゴミ袋は合計6枚になる、ん?最後の1枚って理論上存在しないじゃん、
僕はここにパラドックスを感じんのです。

ゴミ箱の底に最後の1枚だけが存在してる、という状態はストックを追加し続ける以上在り得ない、
んじゃあ“最後の1枚”の存在って何なのさ?
んな不思議を考えちゃうんだよね。

あーこれを図式でご説明してみます。
■■■■□の5枚のゴミ袋を、■■■□→■■□→■□と使っていって、この時点で今から使う■、最後の1枚□がある、
でも袋の存在自体は■と□で合計2枚となってる、
で、
いよいよ最後の□を使おうとする時に、ゴミ箱の底には何もない訳なんでまた■■■■□を追加する、
てことはこの時点でゴミ袋は最後の1枚□と追加した■■■■□で合計が6枚となる、
つまり(ストックを追加していく、という前提において)最後の1枚□しかない、正真正銘の最後の1枚という状態は永遠にない、
“よって最後の1枚が存在し続ける、という状態は存在しない”ってことになる、
そういうことなんであります。

■□の状態ん時に、■を使ってながら「あああと残り1枚だな」と思うと思うんだけども、
厳密に言えばゴミ袋自体は2枚あって1枚ではない、
■をゴミ収集に出して、ストックを追加しない状態なら、あとは□しかない訳だから“最後の1枚”ではある、
逆に言えば、“最後の1枚”を存在させるためにはストックを追加しないんが条件、となんだけども、
そうすると今度は、もうそのゴミ箱を使わないってことになんので(理論上)、
てことは、そのゴミ箱のゴミ袋には“最後の1枚”という概念自体に意味がなくなんので、
ゴミ箱にゴミ袋をセットする以上は、どう考えても“最後の1枚”という存在はない、そう言えんじゃないかと僕は思うんであります。

これね、例えば一味唐辛子がもうないなあと思って、なくなんないうちにストックを買って来る、んな時も当てはまってて、
僕はいつも「最後の1袋の存在って面白いなあ」なんて思ってました。

だからなんなんだって話ですけども。



んじゃまた明日!
2024年04月22日
お寿司とうなぎツアー


電話代だとか光熱費だとでしょ?
僕は、直接請求書を持ってコンビニとかに支払いに行くもんと、予め銀行口座に定額を入れておいてそっから支払ってくもんと、
両方の支払い方をしてんだよね。

この振り分けに大きな意味はないんだけども、
家賃や駐車場代、電話代だとかネット代だとか、ほぼほぼ毎月同じ様な額になるもんは銀行口座に、
電気代とかガス代とか光熱費とかは月や季節によって変動があんので直接支払う、大体んな風に決めてんのであります。
この方が面倒かも知んないけども、なんか自分中ではしっくり来てんだよね。

以前もお話したんだけども、
僕は毎月の各経費支払いの際に、例えば今月は3000円だったから3000円を使うってんじゃなく、
その月の経費がいくらだったとしても4000円封入もしくは口座に入れて置く、
つまり、その月の支払い時になって「お金足んないっ」ってなんない様に、多少多めに見積もっておくんだよね。
まあ皆さんもそうしてらっしゃるとは思いますけども。

で、
僕はそもそもお金のことに関しては無頓着、無関心で(今年はこれを直そうとは思ってる)、
どっちかっていうと、その月の支払いが用意してある金額以下、つまり足さなくても賄えたってことにホッとして、
賄えたってことは用意した金額におつりがある、ほとんどこれを忘れてる日常となんだよね。

この無頓着は後に幸福をもたらすことになり、
大体毎回半年くらい経過した頃に、「あれ?なんかすんごい貯まってるぞ」と銀行口座に残る、結構な金額に気付くんであります。
普通これを何度も繰り返しゃあやがてそれを当てにする様になると思うんだけども、
僕の場合はもう、何度繰り返しても気付いた時は新鮮で、どうしようかななんか買おうかななんて思いつつも続行して貯めていく、
見えない宝箱みたいになってくんだよね。

さて、
実は今月末辺り、その宝箱に貯蓄されてる金額が、推定10000円くらいになる予定なんだよね。
さっきもお話した通り、僕は通常「何に使おうかな」なんてニヤニヤしつつも実際には使わずに貯めて置く、
何かあった時のための救済金としてストックすんだけども、
今回この10000円を、例の“軍資金10000円でお寿司とうなぎを食べ歩くツアー”に使おうかと、密かに考えてるとこなんであります。

これは過日もお話したことで、
僕がまだ本部道場を運営してる頃、ある程度軌道に乗って将来も安泰だなあと思えて来たら(安泰なんてないんですけども)、
軍資金10000円を奮発してお寿司とうなぎを食べに行く、
ちょっと豪華な食材を買って来てお弁当を作り、信長ゆかりの蛇池公園にピクニックに行く、
これを自分へのご褒美と決めていたってな構想なんだけども、
今日お話してる、軍資金による食べ歩きを希望し始めたのには、ちょっとしたキッカケがあったんだよね。

道場運営がちょっと傾きかけた頃、もう6年くらい前だと思うけども、
当時僕は道場運営の足しにするために、栄周辺の荷物配送を徒歩で行うってなアルバイトをしてて、
それは台車に荷物を積んであっちこっち歩き回る、結構ハードな仕事だったんであります。

栄周辺を歩くんで、自然と色んなお店を知る様になり、普段あんま食べ歩きをしない僕はそれが新鮮で、
へぇ〜こんなとこにこんなお店があんのかとか、何なら飲食店に荷物を届けたりだとか、その度に感動してたんだよね。

その仕事では、従業員の健康を守る観点から、それぞれが自分でタイミングをみつけて水分補給することになっており、
僕は、ある店舗の裏側にある自販機が集合してる場所を見つけて、大抵そこで小休止してたんであります。
夏じゃなくてもその仕事、特に汗かきの僕はもう汗びっしょりで、
その職種自体気に入ってたんで休憩時は割と気分爽快で、働いてる感も手伝って「いつか成功するぞ」的な清々しい気持ちにもなりました。

んな時、
あああそこにお寿司屋さんがあったなあ、うなぎやさんはあそこだったなあなんて思うと、
心置きなくお寿司やうなぎを食べられる様になりたいなあなんて思えて来て、
いつか自分もそういう身分になるぞと、ある意味目標を持ったってのがキッカケとなりました。

奇しくも僕は今、また栄周辺にあるビルに勤めてて、通勤時にはテレビ塔も通るし、かつて配送で歩き回ったとこも見ることが出来る、
6年前に比べたら様子は目まぐるしく変化して、何ならビル一棟なくなっちゃったりもしてんだけども、
なんちゅーか、本部道場を繁栄させることは出来なかったけど不安な日々を越えてなんとか生きてるじゃないか、みたいな、
そういう、自分なりに一区切りつける意味でも、かつての願いを叶えるってのも良いんかなあ、
んな風に思ってんだよね。

つっても、実は随分地下街を歩いてないせいで、当時見つけたお店がどこにあったか忘れちゃってる、
や、それどころか、もしやそのお店もなくなってるかも知んないんで、
一度時間を見つけて、当時歩き回ったコースをもっかい歩いてみんのも良いかも知れません。

ところでお寿司&うなぎ、お腹いっぱい食べて10000円で足りんのかしら。



んじゃまた明日!
2024年04月21日
ファンの在り方


実名出してごめんなさい。
松本人志さんも長渕剛さんも、お二人の主張論調には共通した“戦略”が見て取れる、と僕は思ってんだよね。

僕は推理小説が好きで、そん中でも特に倒叙手法の作品が好きで、
まあ小説や映画、ドラマと現実は違うっちゃー違うけども、疑わしい人が、犯人だった場合とそうでない場合、
決定的に違う心理が働く…違う心理が働くさまが描かれることが多いんだよね。
僕の大好きな『刑事コロンボ』は、その辺とこを見事に描いてんので、それはひとつの見どころなんじゃないかと思います。

各作品の内容、犯罪の種類や犯人の年齢、性別、キャリアなんかで違いはあるものの、
両者決定的に違うんは、疑われてるけども犯人じゃない人は、何とかして自分の「無実」を証明しようとする、
対して犯人は、何とかして「証拠を隠滅」しようとする(証拠はあるのか?は真犯人の常套句だよね)、
逆に言えば、この違いを見つければどっちが犯人か解かるってくらい、これは如実なんであります。

松本人志さんは「週刊誌が記事にしたことで名誉を傷つけられた」という方向性、
長渕剛さんは(今のところ)「マス・メディアや無関係の他人が騒ぐことで仕事もままならない」という方向性、
つまり、自分は性加害はしていない、を証明しようとすんじゃなくて、
その真偽はどうあれ「私は傷ついている」を主張して、何とかこの騒動を収束させたいという“戦略”なんじゃないか、
僕はそう感じてんだよね。

松本さんは「でも証拠がない」、長渕さんは「今更調べようがないでしょ?」、
奇しくもお二人とも同種の主張をされてる気がすんのであります。

客観的に考えて、今回被害を受けたとされる女性の主張が、事実なのかどうなのかで“ことの真偽”は判明する、
本来はまずそういう事実があったんかどうかが調べられるべき、
でもお二人はそこを避けるかのような(これは僕個人の感想)舵の取り方で、
やっぱここがいっちばん残念なとこだなあと僕は思うんだよね。
なんで「俺はそんなことはやってない」を明言したり証明しようとしないんか、それが残念なんであります。

あ、誤解されるといけないんで、ここで蛇足なんだけども、
僕は「この二人は犯罪を犯している」ってのを決めつけようとしてんじゃなくて、また、興味本位にネタにしてんでもなくて、
あくまでも“小説などでよく描かれる様子と現実の様子”についてお話してんのであって、
まだ裁判の結審も警察の捜査もされてないお二人の事案については、報道や記事にされてること以外は何も知り得ない、
なんで「真実は当事者しか解からない」と思ってる、これは念を押しておきます。

もうちょっと下世話な言い方をすれば「個人的には二人とも怪しいなあと思うけどホントのとこは解かんない」って感じです。

話を戻します。

僕も、長渕剛さんに関しては昔アルバムを買って聴いたりしたにわかファンでもあり、
ちょっと気になって例のYouTubeを観てみようと思って、当該動画を検索してみました。
でも音声があんまクリアじゃなかったんで、初めの数秒だけ観て、ついでにファンからのコメントを読んでみました。

こっからはさらにさらに“全くの個人的な見解…ていうより感想”です。

すんごい考えさせられたんは、
ファン(ファンです、とか、○○LIVE行きました、とか書かれてたんで恐らくファンかと)の皆さんが、
ほぼほぼ100%と言っても良いくらい「信じています」「この件について明言してくれてありがとう」みたいな発言をされてることで、
なんちゅーか、カリスマである長渕さんを真偽関係なく妄信してる風で、ちょっと怖い感じがしたんだよね。

昔、『マイケル・サンデルの白熱教室』で、
“身内が殺人事件の犯人となった。かくまってくれと尋ねて来たらどうするか”ってなお題が出て、
ほとんどの人が「身内であろうと警察に連絡、もしくは自首を勧める」だったのに対し、あるアジア圏の外国人の方は、
「絶対にかくまって隠し通す。なぜなら私は家族を愛してるから。家族愛は何よりも真実」
すんごい感情的になってそう主張してたんだけども、僕は、これと似てんなあって思って気持ち悪かったんだよね。

ひるがえって、もし大ファンの浜田省吾さんに何かしらの疑惑が掛かったら、僕はどう思うかなあ、
んなことをちょっと考えてみたんだけども、
やっぱ言えるとしたら「真相を明らかにして、もし罪を犯したんなら償って欲しい」であり、
好きな人だから特別、真偽は関係なく信じると言うのがホントのファンだ、とは絶対思わないと思うんだよね。

現に松本人志さんに関しては番組も観てたし、ファンっちゃーファンだし、
そりゃ事実無根であって欲しいとは思うけども、復帰してまた面白い番組作って欲しいと思うけども、
最終的にはそれとこれとは別というか、僕にとっては“真実はどうなのか”なんだよね。

その人を好きだからファンになんので、ファン=妄信するってのはある意味アリなんかなあとも思うけども、
逆説的に言えば、当人を怪しい、疑わしいってな目で見る=ファンとは言えない、とも言えない、
むしろ“ファンだからこそ正しい人であって欲しいと願う”、つまり「もし犯罪を犯したんなら罪を償って欲しい」、
こっちの方が心底本人のことを思ってんじゃないかなあと僕は思います。

僕も、出来得る限り塾生皆さんをガッカリさせない努力をします。



んじゃまた明日!


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