| 夢に出た倫理観
もう何週間になんのかしら、僕は相変わらずしらす丼を食べてんだけども(しらす丼&うどん定食)、 大葉を切らしたんでまた大葉だけ買って来たんだよね。 僕が行くスーパーでは、5枚だか7枚だかが袋に入ったやつと、 多分そのスーパーでパックされんのかしら、もっと大量の20枚くらい入ったもんと両方売られてんのであります。
僕は今しらす丼ばっか食べてんので大葉はいくらあっても困んない、 ために袋じゃなく大量パックの方を購入して、毎回4〜5枚くらいずつ消費してんだよね。
で、 今回初めて「ありゃあ〜」ってなったんだけども、 普通…ていうか、大葉ってこんくらいの大きさだよなってなイメージの大葉に交じって、 「え?これ大葉の赤ちゃんなの?」ってくらい小さなもんが入ってて、それも、普通サイズのもんの間に入れてる感じで、 んー多分グラム計りで、トータル損はしてないとは思うんだけども(あ、でも枚数はいつもと変わんない気が…)、 毎回4枚ずつ使ってた僕は、仕方がないんで6枚行くか、と食いしん坊炸裂となりました。
な〜んか損してる気もすんだけども、まあ細かいこたー気にしないことにしましょー。
さて、今日のお話は損は嫌だけども正しくありたい、んなお話です。 なんか“金はなくとも正しく生きる”みたいになってますけども、まあお付き合い下さいましな。
先日、ある夢を見て、起床したあともその記憶が残ってて、思わず「正しくありたいもんだなあ」と呟いちゃいました。
高校生ん時、あんま喋ったりはしなかったんだけども、 確かお家が不動産屋さんだか何だか、結構お金持ちの息子さんだってな噂のクラスメートが居たんだよね。 まあ高校生ん時なんて、誰の両親が何やってるかなんて知ったこっちゃないし、 何より全員一律の制服、指定の鞄、一応規則がある持ち物なんで貧富の差なんて感じないんだけども、 あくまでも噂で「あいつは金持ちだ」みたいになってたんであります。
なんでそうなったかは全く解かんないんだけども、 (こっからは夢のお話ね) 僕はその子(Z君としましょー)の計らいで、本部道場を借りられることになってんだよね。 因みにこれは夢なんで、Z君の様子は高校当時のまま、僕は今の年齢ってな設定となってます。夢ん中ではこれで普通に成立してます。
その物件は僕が借りてたホントの本部道場よりも随分立派で、何故か二階に客席がある模様、 僕とZ君はその責に座って話をしてるとっから始まって、確か僕がZ君にすんごいお礼を言ってたんだよね。 そしたらZ君が、いいよいいよなんて言いながら「でも毎週〇曜日だけ、会長さんが使うことになってる」なんて言い出しました。
「え?会長さんって?」 僕がそう聞き返すと、Z君曰く、自分はなんちゃらジャパンの会員で、その会長さんがセミナーのためにここを借りる、 なんちゃらジャパンは友達を紹介するだけでお金がもらえる会で、会長さんはすんごい偉い人、 んなことを言い出したんだよね。
僕はすぐに、そりゃねずみ講とかの類のもんで絶対怪しい、Z君に「やめた方が良いよ」って言ったんであります。
そしたらZ君は、何言ってんの、山田君にここを貸すってことは山田君もなんちゃらジャパンの会員なんだよ、なんつって、 終いには、僕もその会に入んなきゃここは貸さないって言い出したんだよね。 んで、ここら辺うろ覚えなんだけども、僕がその物件を借りて、なんちゃらジャパンに入ったら何百万円だかなんだかをもらえる、 そのシステムも説明し始めました。
夢ん中の僕は、本部道場を普通に運営してる態で、 道場は立派な物件に替わるわその上大金が手に入るわで、んな嬉しいこたーないってな様子だったんだけども、 僕はZ君に言い放ったんだよね、 「Z君、なんちゃらジャパンは怪しい会なんだよ、絶対やめた方が良い。そういうことなら僕はここを借りないしお金も要らないっ」と。
Z君は結局最後まで「会長さんは偉い人」「なんちゃらジャパンの会は世の中に平和をもたらす(ここんとこ曖昧)」みたいに言ってて、 結局僕がずっと説得してるとこで夢は覚めたんだけども、 や、喉から手が出るほど欲しいもんが叶うってのに、カッチョ良くよく断ったなあと、 起きてしばらく、僕は自分に感動し(自画自賛)、「んー現実でも正しくありたいもんだなあ」と改めて思いました。
僕はかつて、自動販売機から釣銭がとめどなく出て来るってな夢ん時も、 周りに誰も居ない状況ながら「警察に言わなきゃ」と思ったし(それは当たり前だけども)、 夢ん中の自分が現実の自分と同じかどうかは解かんないけども一応は欲に走らない自分を保つことが出来ました。
案外現実の方が、ホイホイ美味しい話に乗っちゃうかも知んないけども、 僕は思うんだよね、時々こういう夢を見せられて、自分が試されてんじゃないか、と。 もし夢ん中ででも欲望丸出しにしたら、現実世界でなんか罰が当たんじゃないか、んな風に思ったりもすんだよね。
倫理観って時々自分で見直さないと、知らず知らず闇落ちしてく、最悪それに気付かないままホントの悪になっちゃう、 んな気もすんだよね。
正しくありたいもんです。
んじゃまた明日 |
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| 小生、色々雑になる
皆さん。 過日の“東京駅”表記の件、大変失礼致しました。 実はこれにはある経緯があって、昨日お詫びと訂正を打ち込みつつ、「ちゃんとしないといかんなあ」とちょっと反省しました。
15日(月)付『正直日記』《2年くらい放置してたネタ》で掲載した写真は昨年夏頃にスクショしたもので、 その丁度1年前くらいからYouTubeでちょくちょく観てた『怪奇大作戦』ん中のワンシーンです。 15日『正直日記』でもお話した通り、僕はこのシーンを観てぞわぞわし、同時に『正直日記』のネタになんなあとぼんやり思ってました。
で、そん時に「ネタにすんならスクショしないと」と思ったんだけども、そっからず〜っとそれを忘れてて、 半年くらいしてまた思い出し、もっかい同じ回を探してスクショだけしておきました。
かの建築物について、僕は当初“東京駅”かなとなんとなく思ってて、 でも一方では「東京駅ってこんな形じゃないよな」とも思ってる、『正直日記』で掲載する時に調べれば良いやと放置して約2年、 過日とりあえず本文だけ執筆し始めた時にはもうすっかりそのことは忘れてて、 一回「東京駅じゃない、調べないと」と思ったにも関わらず、お猿さんの脳みそ搭載の僕は、 違うんじゃないのと思ったことすら忘れたまんま、東京駅だってな態で仕上げちゃったんであります。
僕はいつも『正直日記』を執筆する際に、 前述した様に後でちゃんと調べてから正式に書くとか、一旦仮にこう表記するけど後で変えるとか、 或いはここは文字色を変える、サイズを大きくするなど、 何らかの留意点がある時は、当該文章の前に■ってな印を入れておくんだよね。
下書きした当該『正直日記』をコピーしてHPソフトの然るべきページにペーストした後、 今回なんか■はないかなと確認し、もしあった場合はそこで調べて書き直したりフォントを変えたりすんのであります。
今回はもう、そもそもすっかり忘れてんので、元から印も入れてなく、完全なる忘却のミスとなりました。 皆さん、大変失礼致しました。
「ちゃんとしなきゃいかんなあ」とちょっと反省したんは、 ここんとこ新しい勤務地での研修なんかがあって、駐車場管理ってのはその場所その場所で機械も接客の流れも違ってんので、 ポンコツ頭の僕なんかはもー覚えんのにホントに時間が掛かる、 普段の生活じゃどうしてもそっちを優先する…て言うより気が付くと覚えなきゃいけないことを反芻してる、 それで、知らず知らずのうちに、色んなことが雑になっちゃう、こういうのはホントいかんなあと思いました。
特に『正直日記』のファイル転送は、 一旦下書きしたもんをコピペしてUPするってなシステムなんで、まず下書きの時点でミスが起こる可能性がある、 んで、それをコピーしてペーストする作業でも、その作業が簡単故に「これで良し」と思いがちで、 今回のミスは上記両方で起きるパターン、 逆に言えば2回思い出して修正するチャンスがあったとも言えて、 雑に仕事するとこういうことになるぞという警告だったなあと反省しました。
ところで皆さん。 例の画像の建物は“東京駅”じゃなく“本願寺伝道院”だってことが判明したんだけども、 建物の写真(しかも昭和初期)だけでどうやって探したんだ?と疑問に思われる方もおみえかも知れません。 もしご存じない方がおみえでしたら、これきっと皆さんにもお役に立つことかと思うんでご説明致します。
ご存じの方からすれば「そんなの誰でもやってるよ」とお思いかと思いますが、これはスマホの画像検索機能を使います。 今回の場合は、『正直日記』で掲載した写真の元画像をスマホで撮り、その画像で検索を掛けました。
画像検索を掛けると、AIが元画に似た画像をネット上から検索、んで表示してくれます。 僕は以前、バラエティー番組に出演された女性ボーカリストさんがブルース・リーのTシャツを着てたんでそれを検索、 急にパソコン画面がアルファベットや図形、グラフだらけの画面になった時もそれをスクショして検索、 いずれもAIが表示した画像からリンクを辿って解決出来ました。
そうそう、今回の例の建物を画像検索して、ちょっと感動したことがありました。 ちょっとこの画像をご覧ください。
こちらのサイトからお写真を掲載しています
過日掲載した『怪奇大作戦』放映時の風景と、現代になってからのほぼ同じ方向からのこの風景、 商店街(?)の看板やら建具やらが新しくなってたり、上空の電線がすんごい増えてたり、 若干の違いはあれど、そうそう昭和初期から変わってない感じじゃないでしょーか。 恐らく50年くらい経過してんじゃないかと思うんだけども、それにしちゃーかなり面影が残ってんじゃないかと思います。
僕は個人的に、なんか日本の古い風景そのままな感じで、ちょっと感動しました。
ん〜巨大物恐怖症としては、現代の風景でも若干ぞわぞわしますけども。
んじゃまた明日! |
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| 研修、中間報告
※ 15日(月)付『正直日記』文中、ドラマに写った建物を“東京駅”と表記しましたが誤りでした。 正しくは“本願寺 伝道院”、場所も京都でした。後で検索して正しい名称を、と思いつつ忘れて下書きのまま掲載してしまいました。 訂正して謝罪させて頂きます。申し訳ありませんでした。
只今16日火曜日午前10時55分、 ずっと続いてる別勤務駐車場での研修もあって、ここんとこ午前8時くらいから『正直日記』を執筆、 んで通常なら午前11時くらいからもっかい『正直日記』執筆or小説執筆もしくは事務仕事をするところを研修の勉強に替えて、 大体1時間くらい覚えたことを復習したりすんだけども、 なんと、たった今上司から連絡があり、この栄方面駐車場で僕の後に入る人が午後3時にしか間に合わなくなったとのことで、 急遽本日の研修がキャンセルとなりました。
んな訳で、急に“いつもの勤務”となってたくさん時間が出来たんで、 研修以前の時の様に、今日はこっからまた『正直日記』を執筆することにしました。 研修も11日が初日で次の12日と、合わせて2時間×2回経験して来たんだけども(土曜日はその駐車場自体がお休み)、 んもう覚えることがたっくさんあってかなり緊張してたところでした。
正直、急遽の研修キャンセルはすんごいホッとしています。 今日はホッとしたついでに、今回の研修について色々お話してみたいと思います。
さて皆さん。 先週11日木曜日、来月からシフトに入るというその駐車場、 研修初日に初めて訪れた際に、いきなり「えぇ…」と暗雲立ち込める出来事がありました。 僕らの勤務先では、新人研修の指導に当たんのは基本そん時シフトに入ってる人が担当、つまり本社社員さんとかじゃなく、 第三者的に見ても、いわゆる“当たり外れ”が事実上発生すんだけども、 どなたかなあ、ちゃんとした方なら良いなあなんて思ってたら、そこに居たんはなんと、 僕が全スタッフん中で(数人しか知んないけど)唯一大嫌いな人Zさんでした。
Zさんってのは、かの名駅方面駐車場で一緒だった女性の方で、当時『正直日記』でもお話してたんだけども、 一言では言い表せないくらいクセが強く、謎の拘りが強いせいで(上司・評)仕事もその人個人の判断で進み、 Zさんが新人研修を担当した時には「Zさんの時だけはやめてください」と新人さんが懇願した、んな事件もありました。
Zさんは僕よりも後輩で、なんなら僕が仕事を教えたこともあったんだけども僕はZさんとは色々合わず、 名駅方面駐車場から今の駐車場に替わる間際、さすがに腹が立つことがあって険悪ムードになって別れました。
寄りにもよってんなZさんが、今回の僕の研修の大半を受け持つこととなったんであります。
ただ、僕もZさんも良い歳をした大人なんで、久し振りに再会しても別にいがみ合う雰囲気はなく、 僕も“色々教えて下さい”モードにキャラ変、プライドが高いZさんは自分が上であることにご満悦の様子、 僕さえ我慢(?)すれば一応は平和に進む状況ではありました。
んがっ。
関係性は良好でも、さすがあのZさんの指導、僕は結果的に二重に苦労することとなりました。 前述した、新人さんの「Zさんだけはやめてください」の気持ちが、んもう心から解かる実体験となったんであります。
その当時も僕は、新人さんがなんでんなにもZさんを避けたいんか相談されたことがあったんだけども、 まず第一の特徴は、教える項目に流れや順序の一貫性がなく、 新人さんですら「今そのことを教えるより大事なことがあるでしょう」と思う始末で、 要は「思い付いたらすぐにそれを教えようとする」みたいな感じなんだよね。
それと、これはこうしますあれはああしますと教えんのが矢継ぎ早で、 尚且つ主語がない的な説明なんで、何も知らない人からすると、そもそも何の説明されてんだか解かんない、 ホント“教わる側泣かせ”なんであります。
僕が受けた指導も、機械操作の説明をしてるかと思ったら脈略なく駐車券の話をし出す、 そうかと思えば今度は急に“朝出勤したら鍵をどうするか”を説明する、 まず教わる側が一つずつ理解してるかどうかの確認や様子見がない、いわば自己満足的な説明が延々続く感じでした。 駐車場管理という仕事自体を一応は知ってんので必死ながらに着いて行ったけども、これが新人さんだったら大変だろうなあと思いました。
寄りによってZさんの指導で研修が始まった僕は、 それだけでも“一旦租借してしか理解出来ない”ってのが大変なのに、 新しい勤務地では機械操作から駐車券の出し方、処理の仕方も全然違い、そういう意味では一から覚えなきゃなんない、 その上、30台収納の車庫が二つ、つまり機械が二つで合計60台入んので、いわゆる契約者さんが50台くらいあり、 んなん覚えられる訳ないでしょと、今から戦々恐々としてんのであります。
ただね、僕は思ったんだよね。 逆に言えばこれは、早くZさんからの指導から卒業するつもりで、とにかく仕事を覚えろってことかなと。 機械操作もチケット発券も、なんなら接客スタイルも今んとことは違う、 もっかい一から覚えるつもりで掛かんないと頭もごちゃごちゃする、 んな煩わしさから逃れるためにはもう、早く独り立ち出来る様に頑張んないとダメだなあ、んな風に思いました。
とりあえず“研修2週間で終了”を目指して頑張りたいと思います。
んじゃまた明日! |
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| 幸せの美味しいご飯
ひょんなことから炊飯器についてた機能“熟成炊き”を試し、 そん時のご飯の美味しさにどハマりして以来、僕はもうずっとその機能でご飯を炊いて来たんだけども、 「熟成炊きのご飯くそ美味いっ」と感動してる割には一体何がどう違うんか、 や、なんなら実は違いなんて全く感じてなくて、ただその気になって己に騙されてるだけかも知んない、 ホント言うと僕はそんくらいバカ舌なんだよね。
でもまあ、具体的な違いが解かんなくても、その気になって「美味しい」と勘違いしてるだけでも、 一応自分では実際の体感としてそう思ってご飯を食べてんので、それはそれで良いじゃん、なんて思ってたんであります。
で、 昨日夕食ん時、相変わらずしらす丼こしらえて一口食べたら、な〜んかご飯に違和感があったんだよね。 熟成炊きで炊き始めてから毎日食べて来た“美味しいと思ってる”ご飯が、具体的には解かんないけどいつもと違う感じなんであります。 強いて言えば、お米一つ一つ、表面がちょっと硬い感じでパラパラしてる、んな感じなんだよね。
僕はご飯には失敗したくないってな思いから、お米炊く時の水は炊飯器内窯のメモリじゃなくてわざわざカップを使う、 なんで炊き上がりに違いが出んのはそうそうないはずなんだよね。
でもたまに、多少メモリに足んなくても柔らかいよりは良いかと、水が少なめの時もあり、 多分今回はそれで炊いちゃったんだな、と思ってました。 毎回毎回のことなんで、今回が少なめだったか妥当だったかは忘れちゃうんであります。
んで今朝、またいつもの様に炊飯セットしようと思ったら、何故かメニューのセットが普通炊きになってんのに気付きました。 そういやあ何回か早炊きした覚えもあんので、そん時戻し間違えたんだと思います。
そこで僕は思いました。 や、自分は味覚も食感も人より疎くて、美味しいか不味いかしか判別出来ないホントのバカ舌だと思ってたけども、 ご飯の炊き方で変わった食感には一応気付けた、これはなんか嬉しいなあなんて思いました。
これ、下手に炊き比べとかしないで、自分で気付かないとこで炊き方が変わってた、 むしろこれが良かったんじゃないかなあと自分では思います。 炊き比べで炊き方変えてたら、自分で変えてることを知ってんのでそれに騙されてんじゃないかと思っちゃう、 ホントに食感や味を感じようと思っても、自分に自信がないんで絶対曖昧になると思うんだよね。
そう考えてみると、ホント改めて思うんは「やっぱちょっとの違いで食べ物って変わんだなあ」ってことで、 これをもうちょっと自分に寄せて言うと、ちょっとしたことで味や食感が変わるってのはホントだったんだなあ、 自分がバカ舌だけに、どっか料理ってもんの深みを信じてないとこがあって、それがホントだったんだってのに再度感動すんだよね。 なんか、そういう微妙な違いが解かる舌ってうらやましいなあと思うんであります。
僕のバカ舌加減を具体的に言うと、 例えば100円ショップで買ったコロッケと、ちゃんとしたプロの手作りのコロッケがあったとして、 もし見た目がそっくり同じだったらどっちがどっちがどっちか解かんない、 何なら「こちらプロの手作りコロッケです」と100円ショップのコロッケを出されたら、 後からプロさんのもんを食べても「やはり100円とプロは違いますな」と100円コロッケを称賛しちゃう、正真正銘の味音痴なんであります。
僕も、浜ちゃんが作った炒飯を絶賛しちゃうクチなんですなあ。
んな中、期せずしてご飯の炊き方で微妙ながらその違いを感じることが出来た、 そうなるともう、んじゃあせめてご飯が美味しいかどうかくらいは毎日感じながら食べたい、なんて思えて来て、 なんちゅーか、今まで以上にお米の有難さに留意して、感謝感謝で食べなきゃなあ、 んなとこに着地したんだよね。
農家さんに感謝すんのは当たり前の話なんですけども。
僕は、自分でホント反省しなきゃなあと思うんだけども、 ご飯を炊く時にお米を洗ったり、水を量ったりすんのさえも面倒っちいなあなんて思いながらやるし、 一応自分で自炊すんだけども結局美味しいか不味いかってだけの感覚しかなく、有難みはおろか何がどう美味しいかとも感じずに食べる、 食いしん坊のはずなのに“ただただ食べてる”に近い感覚なんだよね。
スーパーに行くと、そりゃもうたっくさんの種類の食材が並んでんだけども、 「ああこの一つ一つを誰かが作ってんだなあ」なんて思わないし、それがそこにあんのが当たり前、 僕はただ消費者としてそれを選んで買ってくる、 なんちゅーか、甘利田先生みたいにさ、その食材の特徴だの食感だのに思いを馳せて感謝する、そういう気持ちがないんだよね。
ご飯が美味しいってことはホントに有難いことだし、農家さんのご苦労がなきゃお米を頂けない訳で、 ホント、そういうことに感謝しながらご飯食べなきゃなあと思いました。
んじゃまた明日! |
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| 2年くらい放置してたネタ
暖かくなってすでに久しく、食器洗いなんかももう全然気にせず出来る様になったし、 早朝に起きても、何ならTシャツだけで割と平気になった、 やっぱ寒いよりは暖かい方が有難いなあなんて嬉しく思っては居んだけども、 そん替わりというか何というか、僕の部屋ではちょっと暖かくなるともう小さい虫やハエが飛び始めて、これはこれで厄介なんだよね。
皆さんのお宅は如何でしょーか、 僕の部屋では昨夜、今年になって初めてかしら、4匹の蚊くらいの大きさの虫が飛んでました。もう蚊取り線香の出番なんですなあ。
ここに住み始めた…もう何十年前かしら…、 その当時はすぐ隣が空き地で雑草も生い茂ってて、そのせいか色んな害虫が部屋まで飛んで来てて、 春だの夏だのになると絶対窓を開けらんない、や、窓を開けなくてもどっからか虫が入って来る、 その分家賃まけてくれってくらい往生したんだけども、お隣に家が建ってからはそれも少なくなり、 以前が大量だったってのもあってその落差で随分マシになったなあとは思うけども、それでも虫には困惑しちゃうんだよね。
んな環境なんで、僕の部屋では各種防虫製品が常備してあり、 殺虫剤、蚊取り線香、ゴキブリホイホイ、今朝全てスタンバイ状態にしておきました。 蚊やハエはともかく、ゴキブリはホント嫌だなあ…。
さて今日のお話は、ネタ帳にネタ候補としてかれこれ2年くらい放置してたネタ、 重い腰を上げてやっとそのお話をさせて頂きたいと思います。 放置したってのは決して温めてたんでも練りに練っていたんでもなく、ただただ「どーもその気になんないなあ」と棚上げしてた、 そんだけのことで、お話としては薄〜いお話となりますが、どーか皆さんお付き合い下さいましな。
以前この『正直日記』でも告白したことがあんだけども、 僕はいわゆる“巨大物恐怖症”で、例えば奈良の大仏とかブラジルのキリスト像とかを映像で観たりすると恐怖感があり、 有名な牛久大仏に至ってはもう写真を見ただけで足がすくんでぞわぞわしちゃう、ちょっとお恥ずかしい一面があんだよね。
ブラジルのキリスト像は外国だし奈良の大仏は一応建物ん中に鎮座されてる、 でも牛久大仏は平地にお立ちになっててしかも周りが結構見晴らしが良い、つまりそのお姿が際立って見える、 これがもう僕の心臓をちゅんちゅん刺激し、 「この土地に生まれなくてホントに良かった」と心から安堵してんのであります。
一度、坂の上から牛久大仏の巨大なお顔だけが見えるってな写真を見たことがあって、 それはもう「今日からお前は梅沢富男のマネージャーとして働けっ」の拷問にもすぐにOKしちゃうくらい恐く、 一瞬でも見ちゃったことへの後悔たるやこの上ないもんとなりました。
さて、 ちょっとこの写真をご覧下さい。
これは1960年代後半に放映された『怪奇大作戦』というドラマで、 左上にも表示されてる様に、その第23話《呪いの壺》の、怪奇でもなんでもない普通のワンシーンです。
『怪奇大作戦』ってくらいなんで、昭和35〜36年に制作されたこのドラマはその名の通りお話が怪談テイストで、 血だらけの女性幽霊だの生首だのが出て来る、夜中に観らんない感じのお話が多いと思います。
んがっ。
僕はその、呪いだの恐怖だの幽霊だの何だのよりも、この一場面がもう何よりも恐かったんであります。 商店街ぽい長屋の前で立ってる男性、その背景にある、何やら洋風な建物(大きい)、 手前にある商店街が二階建て続きと低く、ために背景のこの洋風建物がやたらに大きく見えるこの構図が、 ただの建物、なんなら今でも写真なんかで良く見る建物なのに、それがもう怖くて怖くてぞわぞわしちゃうんだよね。
なんちゅーか、例えて言うなら低い屋根の向こうから巨大な何かが現れた、みたいな感覚で、 それがたとえ普通の建物だとしても、絵面がもう怖いんであります。
でも不思議なもんで、これがウルトラマンだとかゴジラだとかなら全然平気で、 幼少の頃一度だけ母親に連れてってもらって『ゴジラ対なんとか』の映画を大画面で観たけども、 僕は泣くどころか十分に楽しんで帰って来ました。
最近『ゴジラ−1.0』の映像で、船を追い掛けてくるゴジラの巨大な顔が写ったりしてんだけども、これも全然平気、 なんなら映画館に観に行きたいと思うくらいなんだよね。
ただ、これが巨大な像として平地に立ってたら、大仏だろうとゴジラだろうと建物だろうと、 多分実際にそれを見たら、恐くて足がすくむんじゃないかと思います。 ていうか自分でも基準が解かんない、恐いと思えば恐い、平気なもんは何故か平気、んな感じなんだよね。
今んとこ、この“巨大物恐怖症”で困ったこたーないんだけども、 アルバイト先のビル、入り口に立つとテレビ塔が見える、通勤時にはその傍も通る、 そん時に、特に早朝まだ暗い時期なんかは若干ぞわぞわして、なるべく見ない様にはしています。
まあこうしてお話のネタにはなんので、得してんだと思うことにします。
んじゃまた明日! |
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