名古屋市 北区 西区 空手道場


山田塾長 正直日記

2023年09月08日
皆さんはどう思われますでしょうか


僕は「うっかりお金を使い過ぎちゃいました」ってのを防ぐために、
毎月の収入を一括りにすんじゃなく、光熱費は幾ら、食費は幾ら、と必要な経費を細かく分類して専用封筒に入れ、
その月は絶対にそっからしか使わない、と決めてお金を使ってんだけども、
食費同様、月に必要な飲料水も額が決めてあり、大体毎月それで賄いながら生活してんだよね。

僕は持病の関係から、ある症状になるととんでもない量の水分を欲することがあり(そん時の量についてはドクターストップはなし)、
具体的には毎月1.5〜2リットル×6本入りのケースを、無糖コーラとお茶を合わせて6ケースは必要で、
ために月初めに予めそれ専用の額をストック、そっから隔週でケース買いしてく、んなシステムとなってんのであります。

少なくとも2年以上はそのシステムで飲料水を購入してんので、
無糖コーラとお茶のケースそれぞれを1ケースずつ買うと値段は幾らってのはもう把握しており、
今日は帰りにコーラとお茶買って来なきゃって日は、ストックから2ケース分の代金を出して財布に入れておく、
んな習慣が常となってました。

で先日、んなことがありました。

いつものお店でいつもの様に、2リットルのお茶と1.5リットルの無糖コーラを1ケースずつ買おうとした僕は、
お茶1ケースとコーラ6本をカゴに載せてレジへと進みました。
(コーラはある時からケース陳列されなくなり、面倒なんで僕は自前の段ボールを持って行くことにしています。無糖コーラの箱です)

店員さんがレジを打つと、何故かいつもより300円くらい安く表示されました。
僕は2ケース合計分の金額は把握してるし、何よりその分のお金をストックから出して持って来てんのですぐに気付き、
「えっと…、値段が安いと思うんですが…」と店員さんに申告しました。

僕は直後に「そうか、お茶のケースを入れてないんだな」と思い「あの、こっちもあるんですが」といったんだけども、
店員さんも「はい、そうですよね」とお茶のケースも込みでの値段だと主張、
どっちかっていうと店員さんの方が「多分間違ってないと思いますが…」みたいな雰囲気となりました。

この時点で既に、僕の後ろには人が並んでるし、レジを済ませるって意味ではちょっと時間が掛かってる、
ん〜苦手なシチュエーションだなあと焦りつつも、僕は一計を案じ、偶然その金額を入れてた封筒に貼ってある過去のレシートを示し、
僕の方が正しいと思いますってのをアピールしました。

因みに、自前の箱も無糖コーラの箱なんで、その箱のバーコードを使う方もいれば、僕が商品棚から取ったコーラ1本×6とする人も居る、
もしやそのせいもあんのかなと、それも店員さんに言って、店員さんも色々試行錯誤してたその時です。

「んもうっ、あなたの方が安く済むんだからそれで良いんじゃないの?」
結構な時間を使ってる僕に業を煮やしたおばさんが、やや半ギレな感じでそう忠告して来ました。
それは結構な声量で、違う列に並んでる方々も一斉に僕を見ました。

皆さんもご承知の様に、僕はただでさえ小心者の人見知り、こーゆー場面は超・超苦手、まさに“穴があったら入りたい”状態でした。
ただ、かと言って「300円ラッキー!」とは思えません。同じ商品を同じ数買ってんので値段は同じ、上下したとしても300円は大き過ぎます。

件のおばさんはキレて「あっちに行くっ」と言って別のレジに並ぶ、店員さんと僕はどうして300円の差が出たのと追及する、
何だか店員さんも、ことの真相を知るまではみたいな感じになって来ました。で、やっとその原因が判明しました。

「あ、私ずっと“水”って言ってましたね」

そうなんです。
僕は、お茶2リットル×6本を購入してんだけども、店員さんはそれを水2リットル×6本としてレジを打ってて、
その差額で300円安く表示されてたってことでした。
まあ、この件に関しては僕の方が絶対的な自信があったんで食い下がったんだけども、
もしそうじゃなかったら、多少いつもより安い気がするなあと思っても、そのままその金額を支払って帰りそうだなとも思いました。

で、僕はふと思ったんだけども、
レジの打ち間違えでこちらが安く済むとはいえ、300円って結構な値段じゃないの?
ていうか、それは10円でも1円でも気付いたら言わなきゃ犯罪でしょ?
僕はそう思うんだよね。

ていうんも、僕にキレてたおばさん、完全に「そのくらいでいちいち言うな」感があって、
少なくともそのおばさんにとっては、僕の方が悪いことしてそうな、お前がガタガタ言うせいでレジが遅れてる的な雰囲気で、
僕の方がすみませんって言っちゃったんだよね。
よくよく考えたらおばさんの方が良くない考えなんじゃないのって思うんであります。

僕は以前、コンビニで50円多くおつりをもらったことがあって、それも数日後返しに行ったし、とにかく不正は嫌、きちんとしたいんだよね。
あー駐車場アルバイトで「兄ちゃん、おつりはあげるよ」って言われた数百円、これもお気持ちだけとお返ししたこともありました。

僕がくそ真面目過ぎんのかなあ…。
「山田さんは真面目だから…」なんて、ややあきれ顔で言われることたまにあんだけども、
そういう時「自分の方がおかしいんかなあ」なんてたま〜に思うことあんだよね。世間の感覚からズレてるっていうか何と言うか…。

皆さんならどうされますか。
後ろに人が並んでる、キレてクレームまで言われる、300円くらいいっかって思いますか。

僕にとっては300円は大きな金額なんですけども。



んじゃまた明日!
2023年08月07日
中島敦『名人伝』をめぐる感覚
中島敦著『名人伝』のネタバレがあります。
同著を今後お読みになるご予定の方はご注意下さい。


太郎を眠らせ太郎の屋根に雪降り積む
次郎を眠らせ次郎の屋根に雪降り積む
─ これは三好達治の詩(抜粋ではなくこの二行で一つの作品)『雪』、
僕が初めてこの詩を知った時、何度読んでもその解釈が解らず、ていうか今でも「〜って意味じゃないんかな?違うんかな?」ってなもんで、
かの残念映画『模倣犯』ラストの、中居君首だけジェット噴射シーンに並ぶ(並べちゃいけないけど)永遠の謎なんだけども、
実は僕にはもうひとつ、その結末の解釈をめぐって、何度考えても意味が解んない、中島敦『名人伝』ってな作品があんだよね。

因みに上記『雪』の僕なりの解釈は、
太郎、次郎ってのが敢えての“特定個人とは逆のイメージ”、つまり誰でもない、どこにでもあるってな印象を狙っての“名前”、
夜子供(恐らく子供かと)をやっと眠らせた父親か母親が居て、
んな家ん中の風景から一気に、或いは同時に、村全体を俯瞰する風景を見ると、
ただただ深々と雪が降り積もるという事実的光景のみがあり、平和かも知んない、やんごとなき事情があんのかも知んない、
んな現実のみが淡々と存在してる、
んな作品なんじゃないかなあと個人的には思ってます。

で『名人伝』。
古い作品で著作権も切れ、現在『青空文庫』で無料で読める&短い作品なんでぜひ一読をおススメすんだけども、
一応ざっくりなあらすじをご紹介致します。

以下ネタバレとなります
趙(ちょう)に住む紀昌(きしょう)という若者が、弓の名手になりたいと達人飛衛(ひえい)の元に弟子入り、
なんやかんやすんごい修行をして秘伝を習得、
「俺は師匠を超えたんじゃないか」と自信を持った紀昌は飛衛に挑戦するもあえなく敗北、
さらに修行を積むため飛衛とは別の師匠を求め、今度は甘蠅(かんよう)ってな達人に師事、
達人から“矢を射らずに鳥を落とす”的なスゴ技を見せられ心酔、何年もその元で修行します。

数年後、紀昌は只者じゃない様相で帰省、人々から名人になったね〜と称賛されんだけども、
当の紀昌は「極意を追及するってことは“その行為”を超えるってことなのだ」みたいなことを言ってな〜んもしない。
あいつは達人だからこそ弓をとらないんだ、とかえって神格化される紀昌。
紀昌はその後一生弓を手にすることもなく、ついには弓を見ても「それな〜に?」と弓の存在すら忘れてしまった … 。

んなお話です。
このお話、瞬きしては達人になれないと、奥さんが機織りする機織り機の下に潜り込んで、
目の前を行き来する“機躡(まねき・足で動かすガッチャンガッチャンするアレ?)”をじ〜っと見つめるとか、
瞬きしなさすぎてついにはまつ毛に蜘蛛の巣が張ったとか、その修行の様(サマ)がすご過ぎて面白いんだけども、
スゴ技が出来る様になりました、が結末じゃなく、まさかの「え〜っと、それ何ですか?」となりました、が結末、
(小説にはそういうセリフはありません。こうなりました、の描写だけです)
正直僕は、初見では「は?」と思いました。

でも最近、やたらとこの『名人伝』を思い出し、考える様になったんだよね。
以前にもお話した、空手道正義塾にはもう新入生は入らないだろう → そろそろ引退も考えて準備しなきゃな、の心境になってから、
(もちろん僕は何かの名人でも達人でもないけども)
昔は空手に情熱を燃やしました → でももう引退しました → 空手ってどうやるんだったっけ? → まあ昔の話ですけどね、
なんて気持ちに変化してくんかなぁなんて思い始めて、
そうして、自分的に思う“過去の栄光”なんかはつまり過去でしかない訳で、
だとしたら、んな“そこに価値のない”もんなんかはぜ〜んぶ忘れちゃって構わない、むしろそう思える様な境地に立てんのかな、
そうも思うんだよね。

いつも言うことだけども、僕自身は自分が空手という技術を習得したことそのものにはあんま関心がなく、
それをツールとして使って何かしらの社会貢献を果たすってことこそが生き甲斐だった訳で、
もはやそれすらも“蚊帳の外”となった今では、自分にはもうなんも価値が見つけらんない、それが正直なとこなんであります。

逆に言えば、今しみじみと思うんは、意味も曖昧なままず〜っと『名人伝』に引っ掛かってたってことが、
推理小説みたいに「ああこういうことだったんだ」ってのが今解る、
僕はこっからエピローグに差し掛かってくんだなあってな実感を、リアルに感じることが出来んのが心地良い、
んな気がすんだよね。

空手を忘れてもブルース・リーは好きで居んのかなあ…。
でも、ブルース・リーが好きなままってことはさ、空手は忘れらんないんかしら。どうなんかしら。

もしかしたら、小学5年生ん時の、単純に彼に憧れた空手を知らない時分に戻んのかも知れません。



んじゃまた明日!
2023年07月06日
誰も腫れ物に触らない世の中に出現するもの


昨日5日水曜日午前中、通販で購入した荷物が届く予定だったんだよね。
以前、曜日と時間指定でお願いした荷物が3時間くらい遅れて届いたことがあったんで(コロナ以降これは止む無しかと)、
もしかしたらまたそういうことがあんのかもと一応留意して待ってたら、
指定時間最終30分くらい前に宅配業者さんが来たんで、まあ、やれやれと応対に出たんであります。

佐川急便さんとか西濃運輸さんとか、宅配業者も色々あんだけども昨日はクロネコヤマトさんで、
会社は違えどこういう時って大抵、
業者「○○です、お荷物お届けにまいりました」
僕 「ありがとうございます」
業者「こちらがお荷物です」(荷物を渡してくれる)
僕 「ありがとうございます」(荷物を受け取る)
業者「こちらにサインを頂けますか?」
僕 「はい」
業者「ありがとうございました」
僕 「ありがとうございました」
ってなターンでしょ?当方ありがとうとはいしか言ってませんけども。

でも昨日の業者さんは、
業者「○○です、宅配です」←独り言のテンションで言ってる
僕 「ありがとうございます」
業者「…」(荷物を渡してくれる)
僕 「ありがとうございます」(荷物を受け取る)
業者「…」(伝票とペンを突き出す)
僕 「あ、はい」(サインして渡す)
業者「…」(無言で受け取り帰ろうとする)
や、無言ですよ無言。終始無言。

ただ、世の中には何らかの事情があって止む無くそうなっちゃう方もおみえかと思ったんで、
僕は「あはは、どうするのか言って頂けると(助かります)」と敢えての笑顔でそう言って伝票をお返ししました。

そしたらその方、
そっから急に様子が変わって「そうでしたねすみませんっ!ありがとうございました!」と超絶さわやかキャラで帰られました。

因みにその方はまだ20代に見える若い男性で、いわゆる“陰キャ”ぽい雰囲気でした。
多分だけども、
「宅配が来たら大体どういうやりとりするか誰でも知ってるでしょ?別にいちいち説明する必要ないし無駄じゃん」
ってな理屈で、その人がそうってんじゃなく、今の時代に育って来た若者の普通なんだと思います。

ちょっと厳しく教えたらパワハラ扱いされる、
こちらは真剣に教えようとしてんのに、音声だの動画だの撮られてSNSにUPされる、
しかも世間は事情も知らずにただただ叩いてくるだけ、
それが障壁となって、今や社員教育さえも普通に出来ない様相なんか、
現代は叱られず教えられず腫れ物に触る様な扱いで社会に放たれる若者がぽつぽつと出始めて、
もしかしたら今後、無礼ってのが普通になってくんかも知れません。

ちょっと前に、授業中にガムを噛んでる生徒を注意、それでもやめなかったことに怒って体罰、その教師が処分された、
なんてニュースがあったんだけども(当該生徒は後になって反省したとか)、
僕は、例えばこういうことが起こったという情報を聞いて、世間が…世間を構成する一人一人が何を思うか、
もっと言えば、何か危惧する感覚があんのなら自分は何をすんのかを考える、そうして世の中が変わっていくべきだ、
んな風に思うんだよね。
“山田塾長”はこういうんを題材にして訓話で話し、「どう思う?」と子供達に感想を話させることで意識させて、
何を正しいと感じるかの感性を養ったりしてました。

まあ、学校の先生が日頃からそういうアプローチをしてれば、
授業中にガムを噛むような生徒はそもそも出て来ないんじゃないかな、とは思いますけども。

子供や若者を腫れ物扱いしながら“教育”していく弊害で、
これから日本には、ずるくて弱くてすぐに逃げ道を探そうとする、エゴが透けて見えてる“愛しい”若者がどんどん出現すると思います。
ヒトの感情の機微を知らず、それを感じ取る感性もなく、ただただそうしたいことだけを正当化する、弱っちく悲しい人種です。

誰も何も教えなくて大丈夫なんでしょーか。



んじゃまた明日!
2023年06月01日
うおぉぉ〜っ還暦て〜


うっひょ〜っ!
今日は6月1日、誕生日おめでとうっ俺!なんであります!
しかもっつーかなんつーか、僕は今年で60歳、還暦なんですなあ還暦っ。

還暦ってあれかしら、赤いちゃんちゃんこ来てほてい様だかが被ってるみたいな帽子被る、あれだったかしら。違ったかしら。

いんや〜不思議な感覚です。
子供の頃や若い頃、否、つい最近まででも、還暦なんておじいちゃんぢゃないのってなイメージで、
月並みな言い方だけども、まさか自分が60歳になるなんて、もっともっと先の話だと思ってました。感覚的に。
それがあなた、気付いたら今日60歳ですよ、ろ・く・じゅっ・さ・い!うへ〜おじいちゃんぢゃないのっ。

僕はまあ、数年前から持病を患って、その影響で身体の各筋肉は急激に衰え、見た目では解んない色んな弊害も起きて、
自分でも年々歳を取ってくなあってな実感はあるにはあったけども、
それでも一応はまだ、階段は駆け上がれる、何なら坂道ダッシュも10本くらいなら出来る(遅いけど)、
ジャンプ系はもう出来ないけどもステップワークなら出来る、
んな自覚はあったんでまだまだ若いもんには負けんぞいってな気概だけはありました。

でも自分が60歳になったんだと気付くと、こっからの10年20年はあんま無理しちゃいかんのかなとか、
持病悪化も加速して、逆に人並み以下の寿命になっちゃうんかなとか、
ちょっと複雑な心境になったりもすんのであります。

逆に、どうにかこうにか60歳まで元気に─日常生活が送れるって意味で─生きて来られた、
色んな紆余曲折、山あり谷ありの人生だったけども一応生きてはいる、
んな風に思えば、感謝の気持ち、前向きな気持ちもふつふつと沸いて来て、こっからも頑張んないといかんなあとも思います。

面白いもんだなあと思ったんは、
今回還暦ってなある種の節目?を迎えて、そのタイミングで“空手道正義塾塾生がとうとう0人になった”という状況となり、
変な言い方だけども、あたかもこれは初めから決まってた運命なんかなと思えなくもなく、
寂しいというよりは“人生って面白い”ってな感覚に近い、もっと言えば、こっから新しい道がまた出来んのかなと思うと、
どっちかっていうと清々しい感じで居られる、
ああ自分はんな気持ちで60歳を迎えたんだなあってのが、ちょっと感慨深いんであります。

んな状況で迎えた60歳の誕生日は、持病の不調諸々含めても“善き日”だなあとも思えて、
また、そう思える自分も、まあそんだけ余裕が出来たってことかもなあとも思えて、
還暦っておじいちゃんになるってことなんだ、なんていう昔の印象からは良い意味でかなりギャップがあり、
むしろ新鮮な気持ちで新しいスタートを切った、今はんな思いで居ります。

塾生0人にはなりましたが、空手道正義塾という空手道場自体は今まで通り続きます。まあ“開店休業”ってとこですな。
いつもお話する様に、今やもう空手道正義塾で空手を習おうなんていう希少な人は居ないんで、
僕が自分で設定してる65歳まで、つまりあと5年は開店休業を続行して、その間新しい形態で空手指導を続けたいと思ってます。

意外なことに、新しい道が開けられんだなと思ったらもう、後から後から色んなアイデアがあふれ出して、
今その取捨選択と、採用したアイデアをどう具体的にシステム化するか、その企画と準備に追われています。
また、企画を進めても結果ボツになるもんもあると思うんで、現時点ではな〜んも公表出来ません。すんません。

10年くらい前には、僕はホント自分が60歳になるなんて想像もしなかったし、
もし自分が60歳になった時には、それこそ頭も禿げ上がり、多分お腹もどど〜んと出て、見た目からしてハゲデブじじいになんのかな、
んな風に思ってました。

まあじじいには違いないけども、お陰様で髪の毛は最後の抵抗ぽく多少は残り、顔や手先のシワも思ったより少なく済みました。
ここで自分を卑下して後ろ向きな考えでもしようもんなら一気に老け込む気もすんので、
僕は今年、自分はここで生まれ変わってゼロ歳になったんだ、新しい人生をこっから始めんだぐらいに思って、
体力の続く限りチャレンジしてこうかなと思ってます。

折角の誕生日、でも今日は普通にアルバイトがある平日、
ちょっとぐらい豪華な夕食でも出来たら良かったんだけども、今日も明日もまた夕方に就寝しなきゃいけません。
次の日曜日にはなんか楽しめるプチイベントでもやろうかしら。

んな歳でもないか…。



んじゃまた明日!
2023年04月06日
ましてRockなんで…


あー、
なんか昨日の『正直日記』読むと、
僕がいちいち言わなくても良いよーなことをお話したことによって、逆に浜田省吾さんに変な印象を付けちゃったかも知んない、
んな気もすんのでちょっとだけ言い直しさせて下さい。

浜田省吾さんご自身は決して「この曲はこういう意味だと解釈して欲しい」なんて言ったことはなく、
その証拠(?)に、例えば『Money』を歌う時も「Hello!everybody!」なんて明るくシャウトしてから歌い始めたりするし、
インタビューでも「深く考えないでただ楽しんで」と仰ってるし、小難しいスタイルではありません。

むしろ、というか何というか、『Money』が発表された当初のインタビューで、
「ドンペリニオンを送ってくれる方がいるけど、あれはただの歌詞なので…」みたいなことを仰ってたことがあったんだけども、
これは、Moneyん中に“最高の女とベッドでドンペリニオン”ってな歌詞がある、でもそれは決して自分が欲しがってる訳じゃない、
高級なお酒なんで送って来ないで、それよりも曲を楽しんで下さい、みたいな主旨で、
ご本人としてはやっぱ、曲の内容よりもノッて楽しんで頂ければ本望、そう思ってんじゃないかなあと思いました。

浜田さんはどちらかと言えば社会派な楽曲が多いし、
例えば『J・Boy』も、歌詞を深読みするとBoy=日本と解釈出来るしご本人もそういうつもりで作詞されてる、
加えてサングラスを外さないってなイメージが重なって、怪しい、暗いと思われがちなんだけども、決してんなこたーありません。

僕自身が、浜田さんだけじゃなく色んな楽曲を聴く時に、曲よりも詞の内容を理解しようと思って聴く方なんで、
どうしても昨日の『正直日記』みたいな事態になっちゃうんだよね。

昔、ある売れっ子声優さんが自作の曲でCDを出す、みたいなことで、その曲を生ギターで歌うってな場面があったんだよね。
僕も、音楽自体が好きなんで、ほうほうどんな曲なんかしらと興味を持って聴いたんだけども、
「実体験を歌いました」と紹介して歌い出した曲が、“渡したラブレターがあくる日教室後ろの壁に貼り出されてた”みたいな歌詞で、
僕は「う〜ん…これは…」なんて考えさせられちゃったんであります。

その詞の内容以前に、楽曲上で実体験として表現することが、この場合は余りにも重いんじゃないか、
重い体験を歌詞にする、これって是か非か考えちゃうなあ、僕は直感的にんな風に思いました。

表現の自由、まして作者ご本人がそうしたいと思ってされてること、これに口出しすること自体ナンセンスである、
これは僕もよくよく承知してる、
なんで何でもありっちゃー何でもありなんだけども、
僕は、この曲に関しては“問題提起”ぽい、それが前面に出ちゃってる感がある、
そう思うと楽曲ってのは、やっぱ楽しむこと前提の方が受け入れられ易いんじゃないかな、
んな風に思ったんであります。

何というんでしょーか、自分の書いたラブレターが教室に貼り出されていたというんは“いじめ問題”として扱われるべきで、
その曲を聴く側はどういう心情で聴けば良いのか、これをアーティスト側から提示して迷わせちゃってんじゃないか、
んな風に感じちゃったんだよね。

曲の歌詞を聞こうとするタイプだと自分で思ってる僕ですら、
言い方は悪いけど“拒否反応”を起こしちゃうくらいの曲、是か非かで言えばそりゃあ是だろうけども、
どう聴いたら良いか迷うってのは逆に、提示しようとしてる問題を宙に浮かせちゃう気がすんのであります。
多分ご本人はそれ程重要視してないとは思いますけども。

浜田省吾さんだけじゃなく、社会的問題をモチーフに楽曲を作られるアーティストは数多存在すると思うけども、
多分作り手側ってのは商業ベースに乗せるって意味でも“とはいえよくよく吟味すべし”みたいな側面もきっとあって、
そういう幾つもの引っ掛かりをクリアした上で出来上がる、
それが良質で重くないメッセージソングとなんじゃないかと思います。

ましてRockとなれば多分尚更で、
プロテストソングと言われる曲ですら曲調がカントリーだったりする中、
反骨精神をベースにすれどもそこはRock、イントロが流れ出した途端思わず立ち上がってダンスする、
そういう曲じゃなきゃいけないんだと僕は思います。

はいっカモンっラケンロー!



んじゃまた明日!


トップへ
戻る
次へ