| | ゴミ箱の話
昨日の『正直日記』でゴミ集積BOXのお話をご紹介してたら、思い出したことがありました。
かつての空手道正義塾本部道場は、 入り口を入ってすぐ右手にトイレがあり、その前には手洗い所、んでその下にはゴミ箱が置いてあったんだよね。 これは、何の空き箱だったか、底面が40p四方、高さが50pくらいの段ボールに黒のビニールテープを巻き付けた物で、 これが指定ゴミ袋にジャストフィットしてたんで、結局道場を閉鎖するまでずっと使ってました。
ある時、 定期的に当方本部道場にトレーニングにみえるある他流の先生から、 “トイレの前にあるゴミ箱をどこか奥に置いては如何ですか” んなメールが届きました。 曰く、 道場に入るとゴミ箱が目に入る、ゴミはあまり良い印象ではない、ゴミ箱は見えない場所に置いた方が良いのでは、 みたいな主旨で、 この先生は当方本部道場を定期的にご使用になってんので、それで気になられたんじゃないかと思います。
ただ僕は、ご指摘ありがとうございます、と思いながらも、 「道場に於ける色々は、指導だけではなく全てのことについてどうしてそうなのかに意味があります」とお答えし、 結局このご指摘には従いませんでした。
およそ“山田塾長”─ この場合はプロデューサーとしての山田も入るけども ─ の言動ってのは全てに意味があり、 そう言う前、そう行動する前には綿密に思案せられた“意図”ってもんが存在してんのであります。
こん時、この先生にはあんまくどくどと申し上げては失礼だしプライドを傷つけるかも知んないと思い、 ただ「子供達がゴミを捨てやすい様にしてます」くらいしかお伝えしてないんだけども、 この件に関してもうちょっと細かく言うと、 まず自宅と公共の場との違い、ひいては道場という場所を何だと捉えてるかの違い、 それと動線、心理的効果、教育上の効果、 んな様々な観点から考え尽くした結果の置き場所であり、そういう意味で言えば、失礼ながらかの先生のご意見は浅過ぎる、 僕は今でもそう思ってんだよね。
まずもって皆さん、例えばスーパーのゴミ箱、公園のゴミ箱、或いは遊園地等のゴミ箱、 パっと思い浮かべて頂くとお分かりかと思うけども、必ず見えるところに置いてあるよね。 これは、スーパーや公園が公共の場所だからで、 あちこちの見える場所にゴミ箱がないと、探すんが面倒だったりしてかえってゴミが散乱する恐れがある、 それと、無意識に「ゴミはちゃんと捨てなきゃ」って思わせて行動させる、だから目立つ様に置いてあんだよね。
ゴミ箱は見えない場所に置いた方が良いってのは各個人の家ん中の話で、 それが公共の場所となったら話は別で、見栄えより“ゴミをゴミ箱に捨てさせる”ってことの方が大事、 なんで両者ではゴミ箱の置き場所が違うんであります。 先生は恐らく、道場が公共の場・教育の場だって感覚がなく、ご自身のお宅の感覚で“隠した方が良い”って仰ったんだと思います。
もっと言えば“動線”って意味でもトイレ前に置いたんは正解で、 大抵の人が必ず通る場所、行く場所への動線上に置くことで“ついでにゴミも捨てる”って行為に繋がるし、 ゴミ箱どこですかといちいち聞かれることもなくなる、 大きなゴミ箱が目立つ場所にあればゴミ捨てへの意識が向上するってな心理効果もあるし、 それらのこと全部が子供達への教育にもなる、つまり一石二鳥にも三鳥にもなんのであります。
こういったことはゴミ箱だけじゃなく、道場内にあるすべてのものに関して共通することで、 置き場所のみならず、置いてある向きや置き方までもが“多角面から考えた”結果であり、全部に意味がありました。
今思えばこれは、過日『正直日記』でもお話した、QCサークルなる活動を“大学”で学んだお陰様で、 物の配置についてはまずどんな観点から考えるべきかってのを理解することが出来ました。 結局、何をどの様に何処に置くかってのは見栄えも大事だけどもやっぱ安全と使い勝手が先で、 そうすることで無駄なストレスがなくなるってな利点を生むんだと思います。
因みに、物の配置や置き方のコツで、それを使う時の向きを考慮するってのがあるそうです。 例えばキッチンで、鍋やフライパンは壁掛けにしないで棚に平行に置く(出来るだけ重ねて置かない)、 お玉やフライ返しなんかは立てんのが理想、んな感じです。 これに、使用頻度や大きさを考慮して並べ順を決めれば、かなり使いやすくなると思います。
かと言って僕がそうしてるかっちゃーそーでもなかったりしますけども。
んじゃまた明日! |
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| | はげとるやないかいっ←これの秘話
僕が失業して「もう空手のことは見たくもないし考えたくもないっ」ってな症状になって、 無意識ではあんだけども、そういう雰囲気を醸し出してんのはホントお恥ずかしいことだと自覚はあります。
毎年、ホント有難いことに、空手で交流のあった諸先生方から年賀状を頂くんだけども、 以前は道場の様子や「正義塾はどうですか」みたいな画像やコメントを下さってたところ、 僕が子供みたいに駄々をこねてんのを察知されてか、 敢えて空手の話題や画像は避け、一般的な年賀状を送って下さる方もみえて、 意識しないうちに諸先生方の方に気を遣わせてしまってる自分を、これまたお恥ずかしく思っています。
ずっとお話させて頂いてる様に、 僕はやっと自分治療に取り掛かったとこだけども、これから徐々に、普通に空手を直視出来る様にしていきたいと思ってます。 お気遣い頂き申し訳ありません。
さて、昨日もお話したんだけども、 塾生皆さんの立派で熱い稽古風景を観んのがまだ若干辛いってのもあり、 自分しか出てないYouTube動画を先に観るってな治療をし始めた僕は、 当時はただ企画してプロットを作ってそれを撮影してUPした、ただそんだけの行為だったもんが、 あらためて第三者的目線で観てみると、当時は全く意識してなかったことに気付いた、んな経緯がありました。
あんま重々しいお話ばっかしててもいかんので、 今日は表題通り、そういった類の動画でお約束となった「はげとるやないかいっ」の“秘話”をお話します。 どーか皆さん、こいつバカだぁ〜なんて思いながらひと時お付き合い下さいましな。
昨日ご紹介したYouTube動画《家に居る機会におススメしたいこと》に続いて、 その3日後に《道場が休みの間に考えて欲しいこと 武道とは何か?》ってな動画をUPしました。
2020年4月21日UP 道場が休みの間に考えて欲しいこと 武道とは何か?
今第三者目線で観てみると、 昨日お話したことと同じく、この人は身体を動かせとか技がどうとかって話じゃなく、 相変わらず精神面の話をしてんなあとやや苦笑すんだけども、 一方で僕は、純粋に「良いこと言ってんなあ」とも思うんだよね。
まあ前述した様に動画一本作る時は、一応コンセプトに沿ってプロットを考え、ある意味“台本”があんので、 当時そういう方向性でこういう内容のもんを作ろうってことで作成してんだけども、 にしても僕は「この人ホントずっとブレてないよなあ」と思うんであります。
この人の頭と心ん中には“子供に何を教えるべきか”ってことが一杯で、それは道場だろうがそれ以外だろうが関係ない、 多分無意識にそう思ってたんじゃないかと思います。
で、 YouTubeチャンネルには、チャンネルの主だけがみられるコンテンツがあって、 自分が挙げた各動画の瞬間視聴率も見られんだけども、 昨日ご紹介した動画の瞬間視聴率、動画最後の“はげとるやないかいっ”の瞬間がその動画ん中で最高の数字だったんだよね。 僕はそれを受けて、んじゃあってんで画角をちょっとだけ上げて、 頭を下げた時に、より“はげてる様子”が映る様にしたんであります。お時間がある方は昨日の動画と今日の動画見比べてみて下さい。
なんてことを思い出してると、僕はまたまた“当時意識してなかったこと”に気付きました。 普通、んなつもりはなく頭を下げたら自分の毛が薄いんが映ってるぢゃないのと思ったらカットする、 でもわざわざ「はげてる」ってなキャプションを付けて、ばかりか、それがウケたんだと思えば強調して動画を作る、 つまり「面白いんならそれがベスト」だと思ってるってことだと思うんだよね。
それで気付いたんだけども、あこれ空手道正義塾っていう道場を表してもいんなあ、 ふとんな風に思いました。 “山田塾長”ってのは鬼の様に厳しく、世間がどうだろうと全く意に介さず厳しさを貫いた人だけども、 同時に、なんか面白いことを言ったりやったりして塾生皆さんが笑顔になんないか、これも追及してたんだよね。
これは塾生さんしか知らないことだけども、毎回稽古の後に行われる“塾長訓話”、 一応何らかの“教え”みたいなもんを説くってな建前なれども、全訓話の半分以上、いわば“すべらない話”みたいなもんで、 何とかして笑いが取れないかの方に意識が向いてました。 事実、爆笑を取った時は心ん中でガッツポーズしてたもんね。
はげとるやないかい!が“高視聴率”だと判れば「俺をバカにしやがって」じゃなく「俺のバカさがウケたんだ」と解釈、 それで皆さんが喜んでくれんならとむしろそっちに舵を切る、 厳しい厳しいと自分でもアピールして来た空手道正義塾も、実はんな雰囲気の道場でした。
はげ具合もずいぶん進行して、今ぢゃ自分でもネタにすんのははばかられる様子となりました。
んじゃまた明日! |
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| | 我慢で過ぎた三が日
只今4日土曜日午前9時17分、 今日は年末年始の長期休暇中、自ら申請した出勤日なんで、 今朝は一週間ぶりにビル内駐車場管理室にて『正直日記』を執筆し始めました。
ビル内のテナントさんのほとんどが今日はまだ年始休み内なんで、現在出社されてんのは僅かに2社さんのみ、 んもうホントに静かな静かな時が流れてます。 三が日も過ぎたし今日は土曜日ってこともあり、もしかしたら一般のお客さんが入庫するかも知んないけども、 恐らく今日はいつもの土曜日以上に暇な一日かと思います。
さて、いつにも増してまったりと過ごした新年明けから昨日までの三日間。 Daily Planなんかはいつもの朝のルーティンとしてやってはいたものの、それ以外は文字通りFree、 予めストックしておいたお菓子を食べながらお正月番組を観たり、日中でも眠くなったら仮眠したり、 お陰様でホントに自由気ままに過ごしたい様に過ごしてました。
でも、というか何というか、 んな全くのストレスゼロな毎日ん中、何度か思いを馳せては首を横に振って無理くり諦める、 言わば強いられた我慢、強いるしか手立てのない我慢に苦しんだ、 んな側面もありました。
皆さん覚えておいででしょーか、 僕は一昨年辺りから、お正月にはもー絶対欠かしたことのなかったお雑煮を泣く泣く諦める、 僕にとってはかなり辛い苦行を自分に強いるしかなかったんであります。
過日もこの件についてちょっと触れたけども、結局僕は文字通り命がけの賭けには挑めず、雑煮を諦めることにしたんだよね。
ところがこの“我慢”、今年はもー自分が想像する以上に苦行となりました。
まず、食べたい度MAXとなって「一か八かの賭けで今年は食べてみるか」「や喉に詰まって死んだら洒落にならんぞ」の葛藤、 これが例年に比べて増々迷う様になった、 これまでは、まあオードブルをおかずにしてご飯を食べんのも悪くはないしってのがやや勝って、 それで雑煮を渋々諦めることが出来てたんだけども、今年はもーそれが限界となって来た模様でした。
皆さんは恐らく、 「そんなに食べたいんなら注視しながらゆっくり食べりゃあ良いのに」と思われることと思います。 巷では、子供や高齢者には細かく切ったお餅で雑煮を作りましょうと推奨してるし、 極力リスクを下げてならギリ無事に食べられんのかも、と僕も思わないではありません。
んがっ。
ああ皆さん、老いとは時に無自覚にやって来るもの、 僕は年々、年を増す毎に自分の“飲み込む力”が衰えて来ているらしく、 最近は普通に食事しててもサザエさんばりに「んぐっ」っとやんなきゃ喉を下りて行かない(食道が渋滞して死にそうなことも)、 ばかりかもはやお菓子を食べててもうっかりすると詰まらせちゃう始末で、 んなんお餅なんて危なくて到底チャレンジ出来んのであります。
今年も迷いに迷って、結果死にたくはないと雑煮は諦めたんだけども、 昨日なんか、スーパーでふとお餅が積んである棚を通った時、気が付いたらお餅見つめて立ち尽くしてた、 いよいよんな禁断症状まで出て来たってくらい追い詰められており、 色んな意味で自分が心配なんだよね。大丈夫か俺。
昨年まではさ、そりゃ雑煮食べたいなあって思いはあったけども、他の美味しい食事に紛らわせることは出来たんだよね。 でも今年は、そうしようにも「美味しいもんは美味しいけど雑煮とは別」みたいに思っちゃって、 ホント我慢すんのがもー耐えらんなくなって来たんであります。 や、これがまた僕が思うお雑煮の醍醐味がさ、皮肉にも「んぐっ」って飲み込む瞬間の心地良さで、 そこが危ないって言ってんでしょ?がもー通じなくなって来てんのが危ないんだよね。
お餅を喉に詰まらせた場合、救助者さんが背中に回って救急人のお腹(みぞおちのちょい下くらい)をグーで圧迫する、 これを、僕みたいに助けてくれる人が居ない場合は、椅子の背もたれなんかを使って自力でやる、 んな方法があんだけども、恐いんはさ、果たしてそれが出来る状態かどうかってことだよね。 お餅なんてチューイングガムみたいなもんなんで、喉に詰まるってより喉に張り付いちゃったら即窒息だもんね。
でも一応僕ん中では、お雑煮を食べんのは元旦から3日までってなイメージがあんので(もちろんその後も食べてたけど)、 三が日が過ぎたしなってのを無理くり理由にして、今年も“晴れて”お雑煮なしで過ごせたことに安堵することにします。
いんや〜我慢した。ホント頑張って我慢したぞ。
んじゃまた明日! |
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| 旧居から連れて来たモノ
旧居から新居に引っ越す際、 僕はもー結構なモノの色々を断捨離しちゃったんだよね。 今思うと何であんなモノまで捨てちゃったんだろうと若干後悔してる“20代〜30代の頃の写真全部”や、 結構あると便利だと思う湯沸かしポット、自営業を立ち上げた頃に購入したビジネス書や指南書、 なんか、引越しをキッカケに忘れちゃえと衝動的に思った、それが理由なんかなあと今は思います。
で、 それとは反対に、無意識に「新居でも使う」と瞬間的に思ったんか、 や何でんなもん持って来たんかしらと思う、理由が解らず“連れて来た”もんもあんのです。
今日は、新春“クスクス”初笑いとして、なんで持って来たか謎なもん二つをご紹介します。
まずは一つ目。 皆さん、この方を覚えておいででしょーか。
 この方の詳細は2023年12月31日付『正直日記』≪恒例!大掃除“出土品”≫をご覧下さい。
旧居の3畳書斎を片付けてた時、色んな細かいもんをどんどん箱に投げ入れてったんだけども、 何故かこのふんどし山田裕貴さんも無意識に入れてたみたいで、 新居でその箱からモノを出して整理した際、一瞬「あれ?なんでこれ …」なんて思いながらそれでも捨てないで、 どうしようかなとちょっと考えて、
 結局ここにぶら下がって頂きました。
な〜んか気に入ったというか愛着があったんでしょーな。 僕はアニメを観ないんで、この方の勇姿を拝見したことがなく、なんで拘ってんのか自分でも不明だけども、 山田裕貴さんは同じ名古屋だし好きな俳優さんです。
続いてはこれ。
 カナダのお土産屋さんで購入したコースターです。 現在のレートは解んないけども、当時これ300円くらいだったかと思います。
なんで同じもんが二つあんのかっていうと、会社や友人の皆さんにおみやげとして配るため大量に購入、 あらかた配って余ったんがこの二枚ってことなんだよね。 引越しの整理さえしなきゃ、多分これは半永久的に見付けるこたーなく、んもう存在すら忘却の彼方でした。
1991年、28歳ん時に僕はカナダで20日ちょっと過ごしてたんだけども、 記録によると34年前の丁度今日と同じ1月3日、僕はカナダのエドモントンという町に着きそっからアパートで独り暮らし、 1月15日にエドモントンから4時間、グレイハウンドというバスに乗って、ジャスパーという小さな観光地に行きました。
そこで入ったおみやげ屋さんでこのコースターを買ったんだけども、店主のおじさんがまー面白い人で、 コースターを10枚くらい、んで絵ハガキを50枚くらい出したらすんごいびっくりして、 「ええっ?君は友だちが50人居るのか?」と外国人特有のオーバーゼスチャー&表情、 「はい、僕には友達が50人居るのです」と返したらおじさんは大袈裟に首を横に振り肩をすくめて両手を上げる、 んもうホント映画みたいなリアクションでした。
このおじさんがもー、ホント外国映画によく出て来る感じの人で、 帰り際「バンフ(国立公園)には行くのかい?」と言われたんで「NO、時間がないのです」と応えたら、 これまた外国人特有の「アッハハハハ」と大笑い、「Oh,This contry is Big!Big!」と解り易い英語、 すんごい大袈裟なアクションで送り出してくれました。
 画像検索しまくって、一番近いイメージの方を見つけました。 ホント、んな感じの人がチェックのシャツにジーンズ、メガネを掛けてました。(写真はロビン・ウイリアムスさん)
そういえば皆さんは御存じでしょーか、 外国の方のおつりの数え方は、商品の値段に出したお札の額まで加算して数えるやり方で、 (例えば700円のものを1000円札で買ったら、8、9、10と指折り数え、300円を割り出す) なんせ50枚と10枚のコースター、おじさんは何度も解んなくなって「Oh No!」とやり直してました。 申し訳なかったです。
…なんて思い出が、旧居でこれを見つけた途端蘇り、新居で使おうと思いつつ箱に入れた次第です。
因みに上記おみやげ屋さんは日本人もよく訪れるらしく、 最後はおじさんも「アリガトウゴザイマシタ」と日本語で挨拶してくれました。ホント良い思い出です。
んじゃまた明日! |
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| 小生、昨年も“耐える年越し”と相成る
皆さん! 2025年の年明け1月元日、新年あけましておめでとうございます! 今朝は快晴とまでは行かないまでも一応は晴天、皆さんはどんなお正月をお過ごしでしょーか。
僕の大晦日から本日元旦は、なにかと“耐える”年越しとなりました。 今日のお話は例年の如く“正月なのに大晦日のお話”となりますが、 どーか皆さん、宜しければみかんでも食べながらお付き合い下さいましな。
昨日の僕のスケジュールは、 『正直日記』を執筆し終えた後、すぐに前日の大掃除を受けて仕上げの軽掃除、 大体30分〜40分くらいで掃除を終わらせて、 その後、毎年恒例の“ほっともっとのオードブル”(事前に予約済)を取りに行き、一旦それは食卓に置いておいて、 お風呂の準備をしてじっくりゆっくり入浴、 さっぱりしたところでこれも僕の毎年恒例の仕事、≪年記≫の執筆をしてその年の全仕事を締めくくり、 後はオードブルで夕食を摂りながらまったりと過ごす、 んな、判で押したような、相変わらずの恒例ルーティンでした。
ここんとこあんま体調が芳しくないせいか、 軽掃除も若干しんどい状態となり、ホントは一気に終わらせたかったところ、珍しく時々休みながらの掃除で、 時間はオーバーするわやったかやんなかったか解んないくらい変化なしだわで、 2024年最後の掃除はどーも納得出来ない感じで終わりました。
毎年大晦日の『ほっともっと』さんは午後2時に閉店っするってのが決まりとのことで、 ホントお店の方には申し訳ないんだけども、そのギリギリの1時50分を狙って外出、 まだ一人お客さんが居たんでちょっと安心して帰宅、 旧居では早朝から5〜6時間掛かって鍋でお湯を溜めていたんが新居では7分25秒で準備出来る、 その有難さに感謝しながら昨年最後のお風呂に入りました。
 2023年は奮発して豪勢なオードブルだったけども、 2024年は元に戻して安価な“おつまみプレート”。 年越しそばの代わりにカップヌードルも準備しました。
その後は、その年の出来事をゆっくり思い出しながら記す“年記”、必ず一遍したためる、その年を振り返った“詩”、 昨年は結構色々あった年だったんで割と時間を掛けてこれを仕上げ、そうなるともーその年の“仕事”は終わり、 あとは大好きな大晦日から新年への年越しを楽しむだけ、となります。
んがっ。
今回の年越し、なかなかに“耐える”年越しとなりました。 まず、これはもー毎年のことで、ある程度予想はしてたんだけども、日頃早寝早起きな習慣が祟り(?)、 “ゆく年くる年”はおろか、んもう“孤独のグルメ”が始まる辺りから強烈な睡魔が襲って来て、 や、もうゴローさんもゆく年くる年も録画しとこうかってくらい追い詰められました。
ゴローさんはまだしもゆく年くる年は録画ぢゃ意味ないですけども。
僕は無理くり「睡魔も波が過ぎりゃあ何とかなるぞ」と信じ、必死に目を開けて眠気に抵抗、 いやいやもーホント10時からの1時間半くらいは耐えに耐える時間となりました。
 信じらんないことに、こん時部屋は全然寒くなく、暖房器具なしで過ごせてました。 靴下も脱いじゃってますな。
その努力がなんとか実を結び、 何度も何度も「もう寝よう」と心が折れ掛けるも晴れて11時45分を迎え、 「これを観なきゃ俺の年越しはありえんぞ」と個人的に拘ってる『ゆく年くる年』を観ることが出来ました。
 多分僕の人生ではほぼほぼ毎年欠かしたことのない番組。 なんでか解んないけども、これを観ないと年を越した実感が沸かんのです。
睡魔に抗うんも大変だったんだけども、実は昨年の大晦日は加えて“後遺症”が酷くなり、 座椅子に座った姿勢がもーホント気持ち悪くて耐え難く、 眠いわ下半身は不快だわで結構落ち込んでました。
今ふと思ったんだけども、“孤独のグルメ”を観出した辺りから色々耐える羽目になって、 絶対起きたまま年を越すぞと頑張った、でしんどいと思いながらもそれはクリアした … 。
…は良いんだけども、ゴローさんって結局、今回何食べてたかってのがすっかり思い出せないんだよね。 確か、初めパスタか何か食べてたよね?
泉谷しげるさんがギター持って吠えてたんは覚えてますけども。
んじゃまた明日! |
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