| 無意識の帰属意識
例えば僕がある街角に立って、 思いっ切り「ああーっ」って叫ぶ、それを、ある法則を以って何度も行うとするでしょ?
街行く人々はきっと、ああ、ああいうおかしな人ってたまに居るよねなんて思いながら通り過ぎ、 一瞥はすんだろうけども関わりたくないはないんで誰も僕に接触しない─。
んじゃあ僕は何でんなことしてるかと言えば、 「この行動は芸術行為なんです。現代社会における人々の乖離、そして無関心を装う関心を表現しているのです」 なんて主張する、 それは誰がどう批判しようと嘲笑しようと、僕自身が芸術だと言えば芸術であり、 寺山修司みたいに逮捕されても個人の心の在り方を主張する、れっきとした“意志ある行為”なんである…。
僕にとってジョン・ケージの作品は、それほど“理解出来ない”もんだったんだよね。 最近でこそ、たま〜にTV番組で取り上げられたりするけども、 僕が初めて彼の名前を教わった時は、それを教えてくれた人も含めて、そういう変な芸術家も居る的括りでした。
昨日旧居のゴミ屋敷住人のお話をして、 その後たまたま、世界の異質な宗教にフォーカスした『クレージー・ジャーニー』を観たんだけども、 僕はふと思ったんだよね。
芸術ん中でも極めて特殊なジャンルにわざわざ傾倒する、数ある音楽ん中でもわざわざそれに引っ掛かる、 数多の宗教ん中でも自ら異教徒を選んで入信する、常人から見ればおかしいと思えるもんにもピュアに心酔する、 こういうのって一種の帰属意識、それもほぼ無意識に傾いちゃう“偽帰属意識”なんじゃないかな、 僕は極個人的に、んな風に思ったんであります。
街角に立って「芸術行為です」と叫んでる僕は、他人から見れば「ああいうおかしな人って居るよね」という認識、 オーケストラを前に4分33秒敢えて演奏しない、これを音楽の一種だと主張するジョン・ケージ、 でも体制の人から見れば彼も“なんかおかしなこと言ってる自称芸術家”という括り、 でもこれを構造的視点で見てみると、 結局“普通のことは普通だと認識する属”と“普通のことを普通じゃない目や心で捉えられる…と気取ってる属”の二極であり、 どちらも意識無意識に関わらず、何かに帰属してる、んな風に思ったんだよね。
今回の『クレージー・ジャーニー』を観てて、僕は勝手に「ははぁ〜ん」って思ってたんだけども、 私は太陽の精霊です、私は月の精霊ですと主張し、それぞれその“階級”を表した衣装に身を包む、 その教団(?)はもはや巨大化して一つの町になってる、 こうなると多分、そこに居る皆さん─その町の町民─はもう宗教を兼ねた町に強制帰属せらるる住人であり、 また、恐らく皆そうと知ってそれを受け入れてる、そっち側の人間なんだ、んな風に思ったんだよね。
精霊だの何だの以上に、ある種族に帰属して、気に入った衣装を着て、大義名分の元に悦に入っていられる、 すんごい悪意のある言い方だけども、僕はその人たちを見て、アニメファンのコスプレ大会を思い出しました。
また、 それとは違う宗教で、人が丁度隠れられる大きさの、藁で出来た傘がぐるぐる回って供物をすり替える、 んな光景もあったんだけども、 人々はその藁の傘そのものを神が宿った神聖なものだと主張し、 中に人が入ってないことを証明するためにその傘をひっくり返して、中を見せてあらためさせるってなシーンがあった、 これも、仕掛けは三文マジックのありふれた種で、まあ中に誰も居ない訳はないんだけども、 問題は、確実にその仕掛けを知っていて、そうと知ってそれを“神聖なもの”だとだましている人間が居るってことで、 神様を信じたい、救われたいとそれに帰属しようとするピュアな人々を欺き続けてんだよね。
昔、僕が空手をやってるっていうと、 ああいうものに傾倒する人間と宗教とかに傾倒する人間は根は同じ、なんて言う意見なんかもあって、 僕はそれを知った時、すんごい納得したんだよね。 空手を身に付けて強くなりたい、という“物質的”な願望がある反面、 やっぱ何かしらの集団、ある思考を持った集団に帰属して、自分が何者であるかを認識して安心したい、 武道というものが人の道を説くという側面がある以上、それは完全否定出来ないな、そう思ったんであります。
んな背景もあったんで、 「空手をやりたい、強くなりたい、楽しい、面白いの反対側にも自分が傾く様に、時々自分を疑うように」 昔“山田塾長”はんなことも言ってました。
確かに何かをやったり目指したりすれば、どこかに帰属することにはなる、例えば空手道正義塾という道場に帰属する、 でもそれは決して個人を固定したり縛ったりするもんではダメで、 特に空手は、そもそもが個人で習得するもんなんで、宗教みたいな集団になっちゃったらいけないってことなんだよね。
旧居ゴミ屋敷住人さんは、変人に見えるってのが手伝って、どこにも帰属してない様なイメージになりがちだけども、 もしかしたら“異質なものを理解出来る頭と感性を俺は持ってる”な属性に帰属してる…しようとしてるってことだったんかも知れません。
知らんけど。
んじゃまた明日! |
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| どうした宮崎監督っ
宮崎 駿監督の『君たちはどう生きるか』、 過日TV放映されたんを録画して観たんだけども、ファンの方ホントにホントにごめんなさい、 あの宮崎 駿監督が、一体どうしちゃったんだ?ってくらい、僕にとっては超駄作でした(ごめんなさい)。 もし映画館でお金払って観てたら、ホント金返せレベルで立腹してたと思います。
相変わらず映像は綺麗で、アニメーションでここまで細かい動きを表現出来んだと感動したし、 声優さん、俳優さんも豪華キャストで、側(がわ)の布陣は最高だったかと思います。 んがっ、 肝心の内容についてはもーホント何回も何回も脱落しそうになるくらい“???”で、 「いや最後まで観たらきっとテーマが解かるのだっ」と思って我慢して観てたけども、結局最後になっても「へ?だから?」でした。
主人公が火事で母親を亡くし、父親の再婚相手と一緒に暮らすことになった、 でも主人公(少年)の胸中は複雑、慣れない環境下では学校の友人と取っ組み合いのケンカをしたりする、 ケンカは無傷で帰れたのに、途中で自ら石を拾ってこめかみにぶつけて怪我を“作る”、 この傷は作中ずっと残ってんので、多分主人公の心の繊細さを表現してんのかな、とこの辺まではまあまあ観られてたんだよね。
で、 アオサギが表れて「お前の母親は生きてる」と、この作品の舞台となるある塔に連れて行く(おびき出す?)、 でね、観てるこっちもああ母親は生きてんのかな、それとも嘘なんかな、と思うと思うんだよね。 結局それは“嘘”ってことで、まあ少年をおびき寄せる罠なんだなと認識すんだけども、 そっから、なんかこのアオサギが味方みたいな感じになるし、一緒について来た老婆の意味や役割も解かんないし、 第一、嘘までついて連れて来た少年に、結構色々起きるは起きるけども、それアオサギが仕掛けたとかじゃないんだよね。
へ?アオサギはなんで連れて来たの?→まずここから僕はこの作品を見失い始めんだけども、 母親が生きてるってのは嘘だったんだって知らされた少年、なのに大してショックを受けないで物語は進む、 んで父親の再婚相手が塔ん中の“呪いが掛かった部屋”みたいなとこで出産しようとしてる、に至ってはもー、 観てる方はどこに感情を持って行けば良いの?と戸惑いしかない、 何か善悪の振り分けが解かんないまま意味不明なシーンが続けられて、かなり早めにストレスMAXとなりました。
順不同だけども、 父親が少年を助けに来て失敗する、でも次には普通に家で暮らしてる、 この人形に触っちゃいけない、と言われた人形に、何故か主人公が自らの手でちょっと触る、 え?何が起きるの?と思って観てたらな〜んも起こらない(僕が見逃したんかしら)、 火を操る少女が出て来んだけども、父親の再婚相手と姉妹だと言うし、だとするとこの少女は少年の実母ってことになる、 異世界での話なんで年代や年齢には目をつぶるとしても、え?でも片方は人間なんじゃないの?ってな疑問が残る、 他にも、塔の主は年老いた人間なのに、何故か住人たちは鳥、なんでインコかも解かんないし、 インコが人間を喰おうとすんのもなんとなく設定に無理がある気がする、 とにかくもー観れば観るほど作品の世界観から乖離してっちゃうんだよね。
僕は、別に恰好つける訳じゃないけどもホントに漫画とかアニメは観ない方で、 昔世間で面白いと評判になった『進撃の巨人』もコミックス第一巻を買って読み始めるも途中で挫折、 アニメに至っては何儒年も前の『宇宙戦艦ヤマト』くらいが多分最後で、 特に嫌いって訳じゃないんだけども、そもそもあんま興味がないってのがホントのとこなんだよね。
ただ、宮崎 駿さんのアニメ映画は別で、アニメを観ない僕でも『もののけ姫』や『千と千尋の神隠し』は再放送されれば観たいと思う、 申し訳ない言い方になっちゃうけども、個人的には「アニメなのに映画として面白い」と思う、 なんで今回の『君たちは〜』もかなり期待を持って観始めたんであります。 でもまさかの期待外れ、僕はかつて“我慢に我慢を重ねてやっと読破した”小説『ドグラ・マグラ』を思い出しました。 いやあれもホント何度も何度も挫折しそうになりましたなあ…。
そうそう、余談だけども、 宮崎 駿監督と“空手”は、実はちょっとした縁があるってのを皆さんご存じでしょーか。
僕ら世代の空手バイブル『空手バカ一代』、 この漫画は実はTVアニメにもなってて、ん中の幾つかの話数を宮崎 駿監督が手掛けてて、 さすが宮崎監督、空手の動きがアニメーションになることで不自然になっちゃいけないと、 『空手バカ一代』の主人公である(諸事情でアニメでは名前が変えてある)大山総裁の極真会館に通い詰め、 空手素人ながらその動きを克明に研究した、んな逸話があんのです。
突然母親を亡くした少年が、自分の意志とは無関係に変わる環境に適応出来ず、心を閉ざしたまま暮らそうとしている、 でもアオサギにいざなわれて足を踏み入れた異世界“塔”で、良くも悪くも様々な経験をして成長していく、 多分、この映画のテーマは、そういった“心の成長”を描こうとしてんじゃないか、 一応はそう理解はしてんだけども、もっとシンプルに描いてくれてたら、僕も作品の世界観に没入出来たかも知れません。
「仕方ない、もっかい初めから観てみるか…」 観終わってそう思ったんだけども、ついうっかりいつもの癖で、録画したその番組を即削除しちゃいました。 残念でした。
んじゃまた明日! |
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| ありがとう近藤君!
昨日の『正直日記』でお話した読解力のテスト、 僕は2問とも正解したってことに気を良くして、あれから他の類似テストをやってみたんだよね。 そしたら、5問あってそれも5問とも正解、 ますます気を良くした僕は、ふへへ俺って結構デキる子ぢゃないのとしばらく鼻息ふんふんだったんであります。
それは時間にすりゃあ数秒のことだけども、 僕はその数秒の刹那に、色んなことを思い出したり考えたりしました。
昨日もちょっと触れたけども、読解力問題に正解しましたっつっても僕の場合は這う這うの体で、 一通り読んですぐに「ああこれはAlexね」と理解したんじゃなく、 「え〜っと、まず男性も女性もAlexという名がある、んで女性はアレクサンドラ、男性はアレクサンダー…と。」 「んで、結局AlexandraでもAlexanderでも愛称はAlex…てことだよな?」 一旦そう理解して、でも僕の場合はこの自問自答を2回も3回も繰り返して、 そののちにやっと「てことはAlexanderでも愛称はAlexってことだよな?」に辿り着く、 そんくらい頭の回転が遅い“お猿さんの脳みそ”なんだよね。あ、この場合この言い方はお猿さんに失礼ですけども。
んな調子なんで、僕は小説なんかを読む時はもー何回も何回もページを遡って読み直したりしなきゃならず、 それもあって、つまり頭の回転が極端に遅いせいで読書嫌いになっちゃったんだよね。
そうだよなあ自分はどっちかっていうと本は嫌いだったなあ、なんて思い出してたら、 それとこの『正直日記』って矛盾してんぢゃないの?とふと思ったんだよね。 そもそも本が嫌いなのに自分で文章は書く、しかもそれは、別に何かに強いられてもいない、まして報酬がある訳でもない、 へーなんで?なんで?なんで?と自分でも思ったんであります。
そこで突然思い出したんが、小学4年生ん時の出来事。
その日、 授業時間のうち前半10〜20分くらい、教室を出て色々見て回りながら好きな題材を見つけ、 その後教室に戻って詩を完成させ前に出て発表する、 んな国語の授業があったんだよね。
勉強はおろか読書でさえも大嫌いな僕は、授業なのに外に出られるってのが新鮮でやけにテンションが上がり、 丁度そん時学校の敷地内で行われてた工事に着目、その光景を詩にしたんであります。 授業や勉強には全く意欲も興味もなかった僕ではあったものの、 前述したハイテンションのお陰で一気に詩らしきものを書き上げ、これまた全く意欲なく前に出て発表しました。
山田君の詩について何かありますか? 先生がクラスの皆にそう問い掛けたんだけども、 いや、あの山田がとりあえず作文用紙に文字を書けただけでも偉いんじゃないですか的空気で、 皆一様に視線を外してクウを見つめる中、 「はいっ」 クラスん中では比較的秀才なキャラの近藤君が手を挙げました。
「ブルトーザーを“ロボット”と言ってるところが良いと思います」
僕は自分が書き上げた詩の中で、 工事現場で動いてる重機(今思うとブルトーザーではなくパワーショベル)を“大きなロボットが”と表現しており、 近藤君はそれを気に留めて褒めてくれたんだよね。
思えばこれが、僕の人生で初めての“比喩表現”だったんじゃないかと思います。
その後僕は、んもうこの『正直日記』で何度も何度も擦って来た唯一の自慢話、 “読書感想文を書く授業→本を読んでない→勝手に自分で物語を作り上げてその感想を書いた態で提出→何故か学年一位で表彰状” “短い作文を書いて全員の前で発表という授業→皆の当たり障りのない内容に疑問→初めて料理をした日を書いたらクラス中大爆笑” んな経験を経て初めて、僕は「ああ俺は本を読むんは嫌いだけど文章を書くんは好きなんだな」と気付いた、 んなことを改めて思い出したんだよね。
僕は子供の頃からホントにおバカで、その上テストで0点取ろうがそれを気にしないタイプ、 自分が人と比べてどうなんかを全く認知しない人間だったんで、 ああそうか俺ってバカなんだと気付いたんも遅かったんだよね。 んな僕が、文章を書くことがどうやら好きらしいってなったんは、単純にそれが面白かった、 逆に言えば、本を読んで何かを理解しようは面倒臭いけど、好き勝手に自由に生み出す方は面白い、そう思ったんだと思います。
前述した読書感想文─偽感想文─を書いてる時、 僕は今でも鮮明に覚えてんだけども、さながら作家にインスピレーションが下りて来たみたいに電流が走り、 んもう棟方志功ばりに作品に集中、途中からはホントに小説書いてるみたいな気分になって、 最後には「出来たっ」って心ん中で叫んでたくらいでした。
本を読むんは嫌いなのに文章は書く、多分僕は、自分で言うんもなんなんだけども、かなり変わってると思います。 野球出来ないのにやたらにコーチングめいたことを言うおやじに似てると思います(違うか)。
ただ、小学4年生当時の近藤君の勇気ある発言には、思い出す度に感謝してます。 なんせ僕は、クラスでも“評判”のおバカで、褒めるとこなんて一つもない鼻たれ坊主、 んな僕の良いところを辛うじて探し当てた近藤君は、さすが秀才だと感服します。
まあ、文章好きがなんかの役に立ったかっていうと、特段なんかある訳じゃないんですけども。
んじゃまた明日! |
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| 警部補古山田任三郎 最終話
皆さん。 例の“靴下の片方紛失の謎”(19日(月)付『正直日記』《またしても謎事件》参照)、 僕は当初、なんやかんや言ってもどっかにはあるはずだ、 むしろ変なとっから出て来た方がオチとしては面白いし、なくなったこと自体ネタとして振りになったし、 見つかったら結末編として執筆しよう、んな風に算段してました。
んがっ。
いやこれホント、いつまで探してもぜ〜んぜん見つかんないんだよね。 自分のことだ、うっかり変なとこに置いたとか入れたとか、有り得るっちゃー有り得んので、 それこそ“まさかの場所”、例えば本棚の奥とか書類が積んであるとことか、 あとはもー冷蔵庫くらいしかないぞってくらい、隅々まで探しました。
最終的には、もしや引越しの際に片方だけ持ってこなかったんかも、とまで疑ったんだけども、 確実に引越した後にその靴下を履いてんので、ほぼその可能性はありません。
僕としては、ああこんな変なところにありましたぁってのが理想的なオチだったんだけども、いやホントに見つかりません。 んもうコックリさんに聞きたいくらいです懐かしい。
論理的に考えれば、足が生えて逃げてくはずがないんで(靴下だけに)僕が自分で捨てたんを忘れてる、 これがいっちばん可能性としては高い、 ただね、何度も同じこと言うけど、もし靴下を捨てんなら、自分なら両方一緒に捨てると思うんだよね。
そうそう、言い忘れてたけども、その靴下、確かに両方とももう穴が開いてて、 裁縫で穴を塞ごうと思ったら、針の穴に糸を通すことが出来なくて諦めた、その靴下にはんな曰くがあんので、 捨てようかなと思う可能性はある、でもそんなら余計両方いっぺんに捨てると思うんだよね。
あ、それで思い出しました。 針の穴に糸が通せない→諦めよう…じゃなくて、そうだそうだ、僕は糸通しって100円shopとかで売ってないかなあと思い、 一度ネットで調べてたんであります。
てことは、僕はそん時、穴の開いた靴下でもまだ捨てる意思はなく、むしろなんとかまだ履けないかと思ってたってことで、 そうなるとやっぱ捨ててる可能性は低いってことになるよね。 おーおーいいぞいいぞ、なんかもっと思い出せそうな気がして来ましたぞっ。
因みに糸通しは確かに100円shopで売ってたけども、3つセットで100円とか何とかで(ネット情報)、 確か「う〜ん。この先果たして糸通しを3つも使うだろうか」と躊躇、それで棚上げ状態になってた気がします。
人の行動として、 針と糸を出して靴下を縫おうとした、でも糸を通せなかった、となった場合、 特に僕みたいな全日本ぐうたら選手権チャンピオンは、 裁縫セットと一緒に靴下も仕舞い込んだ、そん時うっかり片方だけ仕舞った、 これは充分に考えられんだけども、残念なことにこれは在り得ないってのは明白なんだよね。
なんでかっていうと、針と糸(数種の糸巻きがセットになってる)は一つの袋に入ってて、 それはペン立てや小銭瓶の横に立て掛けてあって、そこに靴下は入んないし、第一ほぼ毎日そっから何かを出し入れしてんので、 そこに靴下はないってのは確実なんであります。
さて皆さん。 ここまでお話をお聞きになって「ん?あれ?」と思われる方も多いかと思います。 実はこの迷刑事古山田も、皆さんにお話しながら「あれ?」と気付きました。 いよいよ犯人はあなたです的クライマックスの予感です。
ここで一度行動をおさらいしてみましょう。 両方に穴の開いた靴下を見て、もったいない、穴を塞げばまだ履けんぢゃないのと靴下の片方を持ち、裁縫セットを取り出す。 靴下の色が紺色だったんで、黒い糸巻きを取り出し(←今思い出した)、針の穴に糸を通そうと苦心する。 ところが全く糸が通らず、昔なら全然出来たのにと悔しがりながら、ついには裁縫を諦める。
そん時、そういやあ糸通しって単体で売ってるもんなんかしらと思い、早速ネットで調べてみる。 →ここまでは確実にまだ靴下は存在してる。
はいここっ!
あなたーついさっき言いましたね?「この先果たして糸通しを3つも使うだろうか」と。 そうなんですーはい…。 一つあれば十分なものに100円を使うことに躊躇したあなたは、そこで既に裁縫を諦めた、つまり靴下をあきらめたんですっ。 あなたは早々に裁縫セットを棚に仕舞い、無意識に…いいですか?あなたはほぼ無意識に片方の靴下だけをゴミ箱に捨てた、 お、そ、ら、く、もう片方を元々の場所に残したまま。 どこを探しても片方の靴下は見つからないはずです、それは既にゴミ箱の中に捨ててしまった訳ですから。
はい…つまり…犯人はあなた、あなたご自身ということになりますぅ。 あなたー何やらまるで自分が被害者の様な口ぶりでしたがとんだ茶番でしたねぇ〜。 あなたもしかしたら途中で気付いたんじゃないですか?「あれ?捨てたのは自分なんじゃないか?」と。
人ってのはまれにそういうことはあります。どうかお気になさらずに。
古山田任三郎でした。
♪ちゃっちゃっちゃらちゃっちゃっちゃら ちゃっちゃっちゃらちゃっちゃっちゃら ちゃら〜らら〜ららら〜ららら〜 ちゃら〜らら〜ららら〜ららら〜(つったったらつたったら)ちゃら〜らら〜ららら〜ららら〜
んじゃまた明日! |
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| 解けない謎はない?
う〜ん…。 こうなるとちょっと本腰入れて知恵を絞んないといけませんなあ。 昨日お話した“靴下の片方紛失事件”、なんとまだ解決出来てないんだよね。
探しても見つかんないってことは、探してないとこにある可能性が高い、 僕は、昨日もお話した通り、まさかんなとこにある訳ないってとこを探してみました。
まず念のため洗濯機の周辺を再度確認、 特に洗濯機後ろにある、普段使わないクーラーボックスの辺りは暗くなってんので一応どかせて見てみる、 洗剤などを置いているワゴンの全部の段、ワゴンの下などももっかい探してみました。
やっぱないよなあなんてつぶやきながら、リビングと洗濯機との動線上にある隙間なんかも確認、 衣装ケースはもちろんのこと、果てはハンガーに掛けてある衣類や一昨日洗濯した衣類のポケットん中まで、 まさに“んなとこにあるはずがない”ってとこを探してみました。
そうそう、押し入れん中も、押し入れに入れてある畳んだ寝具の間なんかも調べてみました。
でも見つかんないんだよね。
僕は昨日『正直日記』でこのお話をしながら、 探しても見つかんないんなら探してないとこにある、衣装ケースや畳んである衣類の間なんかが怪しい、 恐らく十中八九そのどっちかにある、んな風に思ってました。 衣装ケースには透明のフタが付いてて、ひとりでに中に入んのは在り得ないんで、なんかの拍子にその上に落ちたんかも知んない、 或いはなんやかんや衣類を取り出したり戻したりしてるうちに、靴下の片方を挟み込んだんかも知んない、 そう思ったんであります。
ところが、薄々「ここだろう」と思ってたとこにない、 となると理論的に考えれば残るは二つ、文字通りホントに“まさかんなとこにあるはずがない”ってとこにあるか、 もしくは“この部屋以外の別の場所”にあるか…。 んーこうなるともう、逆にホントに本腰を入れて推理して、何としてでももう片方の靴下を見つけないではおけない、 ホント僕は厄介な性分なんだよね。
あ、そうそう、皆さんもしや「物干しざおの下に落ちてんじゃないの?」と思われるかも知んないけども、 靴下の片っぽがない、と気付いたんは洗濯物を干し始める前なんで、まだ扉は開けてませんでした。 風も穏やかだったんで、干そうと思った衣類にくっついて落ちて、どっか飛んで行ったってのもなさそうです。
さてさて、なんとしてでも見つけ出したい、とはいうものの、 ここまで探してまだ見つかんないってことは、こりゃ相当な難題かと思われます。 もし正真正銘この部屋の隅から隅までを探して、事実として部屋のどこにもなかったとすれば、 前述した様に、一つの可能性として部屋以外のところにあるってのは考えられるとは思います。
例えば、なんらかの方法で気付かぬうちに車の中に落ちた、玄関の外に落ちた、 或いはうっかりゴミ箱ん中に落としちゃって、そのままゴミに出したetc…。
ただ、まず靴下っつってもそこそこの大きさや重さがあんので なんかにくっついたとしても、それがそのまま数歩歩く間落ちないってのも考えにくい、なんで車ん中にはなさそう、 ゴミ箱ってのも、洗濯機に行くまでの動線上にゴミ箱はない、 となると洗濯しようって時じゃない時に落としたかも、でも逆に、洗濯しようとしてる時以外に靴下をなんかするなんてないし、 ホント、考えれば考えるほど謎は深まるばかりなんだよね。
まずもって僕は、帰宅してすぐ靴下を脱ぐ習慣は大いにあれど、 大体決まった場所─衣類が畳んであるハンガーラックんとこか、もしくは洗濯籠が置いてある、洗濯機の前、 それに、片方だけ脱いでそのままなんてこたー絶対やんないし、 脱いだら脱いだで、僕は習慣、ていうか癖として必ず裏返った靴下を戻して伸ばし、尚且つ二つ揃えて畳む、 裏返って丸いまんまあっちこっちに置くなんてのは人生一度もやったことないんであります。
なくなる可能性ってのをもうちょっと広げると、 もういっこ“過去に自分の手で捨てた”ってのがあるにはある、 それに、僕は特に、無意識でやっちゃったことを、後から「ええ?こんなことしたかしら?」なんて思うこたーよくあんので、 無意識に靴下を捨てたってのは、絶対にないとは言い切れない、 ほぼ無意識に、例えばTVなんかをみながら靴下をゴミ箱に入れたなんてことを、絶対にやんないかっていうと自信がない、 それはそう思います。
でもね、もし靴下を捨てようとすんなら、僕は多分片方だけってんじゃなく、両方捨てると思うんだよね。
僕はお酒を飲まないんで、酔っ払って訳分かんないことをするってのもないし、 ホント、靴下の片方、どこ行っちゃったんでしょーか。
解けない謎はない、と古畑任三郎も言ってました。僕もそうは思います。 いっちょ本腰入れてこの謎に立ち向かいたいと思います。
んじゃまた明日! |
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