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山田塾長 正直日記

2026年02月19日
木曜日の帰宅後


只今19日木曜日午前0時12分、
今日は木曜日なんで、D駐車場での深夜勤務、一通りの業務を終えて一段落、
待機時間を利用して『正直日記』を執筆し始めました。

今日は僕が出勤した時点で1台の外出車、6台の出庫待ちという状態、まあまあ忙しい(深夜にしては)状況かと思います。
因みに“外出”ってのは、一旦駐車したお客様が、そのまま帰んじゃなくもっかい戻って来る、ということで、
これはどこの駐車場でも同じなんかしら、
前払いした金額の時間内なら、何度でも自由に入出庫出来るってなシステムなんだよね。

この、外出の際にはレジ作業はなく、出た車が次にどこに(何番に)入ったかを記録するだけなんで、
僕は個人的には普通のレジ作業よりは外出の方が気が楽です。

6台の出庫待ちは、うち3台がレジ作業なし(24時間の前払いなんで、僕が在勤してる時は帰って来ないか、来てもお金不要)、
残り3台がもし時間超過ならちょっと面倒なレジ作業あり、んでその内の2台は常連さんで、毎回時間内に帰られる方、
なんで今日は、最後の1台が時間超過となるかどうかがドキドキで、
出来れば時間内に戻って来て欲しいなあと懇願しております。

つってもまあ、レジ作業も少しずつ慣れて来たんで気楽は気楽だけども、とにかく打ち間違えない様に気を付けたいと思います。

さて、つまり今日は木曜日な訳だけども、
今年になって、以前は隔週木曜日休みだったところ、何故か木曜日休みは月一回、
後は全部出勤木曜日も出勤で、ずっと隔週休みで慣れて来てたせいか、
そう知った時には若干、「木曜日がしんどいかもなあ」なんて危惧してたんだよね。
月に2回、木曜日が休みでも生活自体は出来てたし、何より“サザエさん症候群”になるくらいの嫌々度だったんで、
急に月2回の出勤が増えたんは、若干困惑もあったんであります。

で、
木曜休みは月一回だけ、後は毎週木曜日も出勤ってな月を2ヵ月続けて来て、
僕は今、何故か“火曜日より木曜日に出勤する方が嬉しく感じる”、んなことに気付いたんだよね。
火曜日の出勤前はまだ嫌だなあと思うけども、木曜日の出勤前にはあんま嫌だとは思わなくなったんであります。

出勤時間は同じ、退勤時間も同じ、
ていうか、むしろ木曜日の方がお客様も多く、忙しいっちゃー忙しいし、面倒なレジ作業も木曜日の方が多い、
なのに火曜日よりも出勤すんのが嫌々じゃないんだよね。
そりゃまあSilver Week初日の火曜日に比べりゃあ断然火曜日の方が嬉しいけども、
これなんでかなあと考えてみるに、やっぱ“木曜日帰宅したらあとは月曜日まで気が楽”、
つまり、木・金・土・日・月の5日間が、Silver Weekみたいなもんだ、そう思えるからだと思うんだよね。

逆に木曜日が出勤の週の火曜日は、火曜日帰宅してもまだ木曜日の出勤がある状態で、
やっと業務に慣れて来たとはいえ、やっぱまだ多少の緊張があんので気が抜けない…と無意識に感じてんじゃないかと思います。

そこで─これはただ考え方をそうするってだけだけども─、
隔週木曜休みがなくなった替わりに、これからは“木曜日帰宅したあとから月曜日まで”をWEP復活とし、
何をするという訳ではないけども、木曜日以降を気楽に過ごせるってこと自体をもぅと楽しもう、
んな過ごし方をすることにしました。

復活したとはいえ、Weekend Enjoy Projectをあんま特別にすると、折角のSilver Weekが薄まっちゃうんで、
もし金銭的に余裕があんなら、初日の木曜日帰宅後だけささやかな○○パーティーか外食、
後の4日間は普通に出勤があるってのもあんので、自由時間の範囲内でお金を掛けずに楽しむ、
んな5日間にしようかなと思ってます。

とりあえず今日19日は、先週うなぎパーティーをしなかった分、外食費が残ってんので、
まだ開催されてる“かっぱ寿司食べ放題”に行って来る予定、
また、どうすれば元を取れるかを考えながらチャレンジして来たいと思ってます。

金曜日から月曜日は、録り溜めし過ぎてる映画を出来るだけ観るとか、
時間を作ってYouTube動画を作成する、んな過ごし方で楽しみたいと思ってます。

まあ何でも考え方一つですな。



んじゃまた明日!
2026年02月18日
同居人の居る生活


只今17日火曜日午前1時48分、
18日水曜日分の『正直日記』を今執筆し始めました。
因みに17日分の《「ま、これで良いか」が良くない》は10分くらい前に書き終わり、
少々の業務を済ませたらまた長い待機時間が出来たんで、今のうちに明日の分をと思い、またノーパソに向かいました。

今日は、出勤した時点でレジ処理がちょっと面倒なお客様が3台残った状態で、
17日分『正直日記』を執筆してる時に1台、執筆し終えた時に1台が出庫、
現時点では残すところあと1台のみとなりました。
来るなら早く来てくんないかなあなんて思うんだけども、こればっかは待つしかないんで、気長に待とうかなと思ってます。

さて、今日も飼い猫のお話、
出来るだけヤツの話はしない様にしようと思ってんだけども、やっぱ思うことがあるとお話もしたくなり、
頻度が多くなんない様に気を付けつつ、幸せテイストのお話もたまにして行こうかなと思ってます。すんません。

14日付け『正直日記』《13日の金曜日に起きたこと》でもお話した、
寝耳に水の“飼い猫の膀胱炎”、あれから5日が経ち、お陰様で病気も治った様子で、
今はまた以前の様に、“寝て起きて「ご飯まだぁ?」”の繰り返しとなりました。
ホント、胸を撫で下ろすとはこういうことを指すんだなあと実感しております。

現在の飼い猫との出会いについては、
今年1月2日からのシリーズ《お話していなかった“秘密”発表 Vol.0〜10》でお話した通りなんだけども、
猫を飼うことが長年の夢だった、苦労して今年やっと夢が叶った、という幸せ者の僕なれど、
実は、自分一人で猫を飼うってのは初めてのことで、
小学低学年の頃に一度実家で猫を飼った、その後、飼ってはいないけど“通い猫”に餌などをあげた以外、
猫との交流は全くなかったんだよね。

なんで、
猫を飼ってる、なんて言っても僕の場合はホント猫飼い初心者で、
ために先回の様な、急な病気なんかを目の当たりにすると、文字通り焦ってあたふたするし、不安も無駄に大きい、
実家で飼ってた猫はほとんど母親が面倒をみてたし、通い猫なんてただ来た時に餌をあげてれば良いだけ、
つまり、僕は“都合の良いところだけ猫と触れてた”訳で、ホントの意味で猫と暮らして行く上での現実は知る由もない、
生半可なことじゃない、兜の緒を締めて掛かんなきゃいけないってのを、初めて痛感したんであります。

以前もお話したけども、たまたま出会った猫が奇跡的に超健康体で何の問題もなかった、
僕は無意識にそれが当然だと思い込み、いざ病気になったら途端に不安に襲われる、
そこで初めて、そうか生き物だから病気にもなれば思い通りに行かない時もある、と実感して、
なんか、そっからやっと、自分以外の生き物と同居するってことの大変さを覚悟する様になりました。そんだけ甘かったんでしょうな。

ただ、
そういう覚悟を一旦肝に命ずると、逆にそれまで以上に“他者と暮らす”ってことの良さが判る様になって、
今までなんも思わなかったことや、逆に「んもうっ」と思ってたことに一喜一憂する意義、
これを感じる様になりました。

色々あんだけども、
例えば猫ってのは好奇心が強いってな習性があって、外をぼーっと眺めてなんもしてない時なんかに、
僕がおもむろに掃除なんかを始めると、気が付いたら傍に来てそれを眺めてたり、時にはわざわざ掃除してる真ん中を通ったり、
んな時は、ただ単に「ああ降りて来たな(大体キャットタワーのてっぺんに居る)」と思ったり、
なんなら邪魔で「んもうっ」と思ったりしてたんが、今じゃそういう一つ一つを愛おしく思える様になったんだよね。

それと、
こういうんはペットを飼ってる方のあるあるなんかしら、
猫に人の言葉が判るはずはないのに、ふと、ホント同居人に話し掛ける様に言葉を掛けちゃう、
「あー腹減ったよなあ」とか「今朝ご飯(猫の餌)食べたの何時だったっけ?」とか、
思わず赤面しちゃうくらい、普通に話し掛けたりしちゃって、これも同居人あればこその現象かと思うんであります。

寝ようかなと思ってベッドと布団を準備して、トイレから帰って来たら猫が先に陣取ってる、
折りたたみ椅子を用意してキッチンからコーヒーを持って来たらその椅子には先に猫が座ってる、
思わず「お前が座んのか〜いっ」なんてツッコミを入れたりしてると、ああ、こういう何気ないことが癒しになんだなあと、
もしヤツが居なければ知ることの出来なかった感情、その貴重さを痛感すんだよね。


一日の大半はキャットタワーのてっぺんでグータラ。
機嫌が良い時は、近付くと「ニャ?」と鳴いて振り返ってくれます。おててピーンが可愛い。

僕が猫派なんは、猫は気まぐれで人間になびかないってのが気に入ってのことなんで、
猫と遊びたいと思っても猫側が拒否する、撫でようとするとひっかいて噛みつこうとする、
んなんも可愛いの内だと思えんので、思い通りになんなくても幸せだなあと感じることが出来ます。

出来るだけ健康で長生きしてくれる様、努力したいと思います。



んじゃまた明日!
2026年02月17日
「ま、これで良いか」が良くない


よくここでもお話してる、スーパーに食材を買いに行っても結局いつも買うもんを買っちゃうってなお話、
まあ一週間の食費を1000円〜1500円に留めてんのでそうそう種類は買えないまでも、
安価でも良い、なんかいつもとは違う食材を買って、いつもとは違うメニューをこしらえる、
僕はまーんな冒険をしない…ていうか、そうしてみたいってのを忘れてるとこがあって、
ごくたまに、つまんない人生を送ってんなあと凹んだりすんだよね。

年末年始に新調した寝具とベッドなんかもそうで、
僕はまず、様々に並んでる商品の値段からCheckして、出来るだけ安価なもんを見繕う、
んで、ほぼほぼ品定めなどしないまま、いわば適当なところでどれを買うか選ぶ、
そうして購入したもんは、値段は安い部類、デザインもクオリティーが高いというよりは“まあまあおかしくない”レベル、
何の冒険もせず、遊び心もなく購入したんで、まさに“可もなく不可もなく”な買い物となったんであります。

これはホントに極々たま〜にのことなんだけども、
座椅子にもたれ掛かってTVなんぞをぼ〜っと観てる時なんかに、
リビングにあるもんやキッチンにおいてあるもんに対してふと思いを馳せ、
ただ値段ありきで、冒険しない、吟味しない、適当にチョイスした自分の持ち物諸々を再認識して、
「いやホントつまんないなあ」と、己の仕業であることを忘れたかの様に、矢鱈に後悔することがあって、
悩まなくても良いことに悩むこの何とも言えない無駄を、何とかしなきゃなあとあらためて思うんだよね。

で、
過日もお話した様に、僕は今、カーペットと鍋を買い替えようと目論んでんだけども、
あれからまた、それに加えて新たにジョッキ、食器類も新しいもんを買わなきゃいけなくなって、
良い機会なんで、んなんを買い替える際にはちゃんと商品を吟味して、出来れば値段よりも気に入るかどうかを重視する、
んな冒険をしてみようかななんて思ってんだよね。

自分は、多分面倒臭がり屋ってのが影響してんのか、あんま選ばないで商品を買っちゃう、
それはそれで済んでは来てんだけども、極たまにんな自分の性質に凹んだりする、
今まで何か商品を購入して来たその時には特に思わないけども、結局後になって若干の後悔がある、
たまにはんな自分に抗って、多少無理でも、多少面倒臭くても、日が経っても納得出来る買い物をしたい、
んな風に思ったんであります。

そう言えば…と思い出したんだけども、
今は適当にしか買い物をしなくなった僕も若い頃は今とは逆で、まず買い物が楽しいと思えたし、
何を買うにしても、買う前からああいうのが良いこういうのが良いと想像を膨らませ、
実際にお金を出して購入する時なんかはもう、いつまで悩んでんだってくらい慎重になってたんだよね。

それは、本を一冊買う時ですらそうで、
例えばシャーロック・ホームズのシリーズや、星新一の短編集、その他何か見つけて買おうってな時には、
もし立ち読みしてたら一冊読み終えたんじゃないのってくらい本屋に長居したし、
初めて自分のお金でギターを買う時なんかも、それはそれは悩みに悩んで、
音楽雑誌の裏表紙に載ってるギターの広告を切り抜いて眺めては、あれにしようこれにしようと相当な時間吟味してました。

確かに、んなプロセスを経て購入した色々は、値段はどうあれ愛着もひとしおで、
文庫本ならカバー着けて悦に入ってたし、ギターなんかはもーホントに宝物みたいに大事にして、
なんか、それだけに物の価値の有難さが身に染みる感じがして、
それはそれで楽しかった思い出があんだよね。

それと、
今は買い物のほとんどを通販にしてて、そうなるとお店で実物を見ないで買ったりする、
でも通販の欠点はそれだけじゃなくて、
例えば食器を買う場合、お店に行けばお目当ての品物以外のもんも置いてある訳で、
あれを買おうと思ってたんが、実際にお店で見てみると他のもんも良く思えて来たり、逆に「やっぱこれだな」と思えたり、
まさに冒険出来るってのが醍醐味だったりすんだよね。

自分の性格から来る現象とはいえ、後になってつまんないと思うくらいなら、
多少面倒でも後悔しない買い物をした方が良いよね。

買い物を楽しむってのも、人生を豊かにする一つかも知れません。



んじゃまた明日!
2026年02月16日
しゅばばっと起きる


今日の『正直日記』はまたあの“実験”です。
以下、僕自身がホントに執筆した文章と、その文章と全く同じプロットで書いてもらったAIさんの文章、
これを二つ並べてみんので、どっちがどっちか当ててみて下さい。
※ AI執筆の方で、あまりにも普段の僕の文体と違うもんは若干の修正を加えました。語尾を変えた程度です。

【TIPE・A】
2月も半ば、2026年という年が本格的に動き出した今日この頃、
僕は今、自分自身の内側に潜む“ある巨大な敵”と対峙しているんであります。
それは、これまで長年「まあ、仕方ないよね」と甘やかして見逃し続けてきた、
僕の最大の悪癖「何でも後回しにする」というあの性質のことであります。

実を言うと、自分のこの癖については、僕自身が一番よく自覚してんだよね。
やるべきことを目の前にして、
それが自分にとってプラスになると分かっているのに、知っていて敢えて「行動しない」という選択肢を握りしめてしまう。

結果として自分で自分の首を絞め、損をするトリガーを自ら引いている……そんな滑稽な一人芝居を演じている自覚が、重々あるわけです。

この「損」がその場限りで消えてくれるなら、まだ救いようもあるんだけども、
実際には小さな不利益がチリのように積もって、最終的には人生における大きな得や、二度と来ないチャンスを逃すことになっている、
それに気付きつつも、結局は「まいっか、後で」という甘い囁きに負けてしまう自分自身が、
何よりのストレスとなって蓄積されていくんだよね。

「損をすると判っているのに動けない」というこの悪癖は、やがて出口のない無意味なジレンマとなり、
僕を負のスパイラルへと引き摺り込んでいく。
自分を客観視してみれば、そのジレンマは将来、巨大な後悔となって襲いかかってくるに違いないし、
あろうことかその原因を「自分のせい」ではなく、境遇や他人のせいにし始めかねない…そんな醜い未来の自分すら、
容易に予想できてしまうんであります。

これは、非常に危険なバイオリズムの予兆ですよ。

そこで僕は今年、まずは「ちょっとだけ自分を変えてみよう」と決意した訳です。
何かを思い立った時、可能な限り、一歩だけでもいいから行動に移す。
人から見れば「そんなこと?」と思うような他愛ない変化であっても、これは僕が僕自身を変えるための、切実な一歩なんだよね。

その具体的な修行の一つとして選んだのが、「毎朝、どんなに二度寝がしたくても、絶対にしゅばばっと起きる」という強硬手段であります。
布団の温もりに「まいっか」と身を委ねる自分を断ち切り、脊髄反射で跳ね起きる。
この小さな勝利の積み重ねこそが、
僕の魂に染み付いた「後回し癖」を、少しずつ、でも確実に浄化してくれるんじゃないかと思っているんであります。

…さあ、明日の朝も「しゅばばっ」といけるかどうか。
自分との孤独な戦いは、まだ始まったばかりです。

【TIPE・B】
僕は、今年2026年は、今まで許して来た僕自身の悪癖を、
直すってとこまでは行かないまでも、せめてそれに気が付いて、そこで甘えず悪癖に抗う、そういう意識が持てる様にする、
んな風に思ってんだよね。

まあ“直すとまでは行かないまでも”が既に自分に保険を掛けてる弱気なんですけども。

僕の悪癖、例えば何行動しようと思っても、思いはすんだけども何かと理由をつけて後回しする、
これなんかは、十分自分で自覚してんのに、知ってて敢えてやんない方を選んじゃうことになり、
結果的に自分自身が損をすることになる、
完全にそのトリガーになっちゃうんだよね。

ああ自分はそういう意味で自分の損を自分で招いてるな、重々自覚してる、
この損は、そん時一時的なもんで済んで行けば別に良いけども、
積もり積もって、また、初めに「まいっか明日で」とスルーしたばかりに、
結果的に大きな得やチャンスを逃してることになる、また、それを許してる僕自身にも嫌気がさしてくる、
んなストレスを生んじゃうんであります。

で、
僕は僕自身のことをよ〜く知ってんので、
この“結果的に損をすると判ってんのに結局行動に起こさない悪癖”を、
放置すんのは自分自身なのに、それを忘れるかの如く次には「なんでやんなかったんだ」と当てもなく恨む、
自分のせいなのにそれを棚上げして無意味なジレンマに陥る、
やがてんな負のスパイラルに陥ってくんだろう、それは十分予想出来んだよね。

改めて自分を客観視するに、そのジレンマはやがて大きな後悔へと落ちて行く、
それも、もしや“自分のせいなのに”ってのが抜けて、その原因を境遇や他者のせいにもしかねない、
これはなかなかの危機だと思い始めました。

そこで、
僕はまず「今年はちょっとだけ自分を変えるぞ」と考え、思い立った時出来得る限り行動する、
人から見れば他愛なく小さなことでも、これは自分が変わるためだと意識して、
まいっかの方じゃなく、何も考えずにとにかく一歩だけは進むって方を選ぶ癖を付けることにしました。

その方法の一つが“毎朝どんなに二度寝したくても絶対にしゅばばっと起きる”ってことで、
とにかくこれを…これだけは必ず実行することで、自分のまいっか癖を徐々に直して行こうと思ってんだよね。
(読み比べは以上)

あーこれは解かっちゃうかなあ…。
AIさんにはもう少し学習してもらって、またこの実験をしてみたいと思います。



んじゃまた明日!
2026年02月15日
急に来た“想像ペットロス”


“想像ペットロス”なんて言葉は多分ないと思うけども、
猫を飼い始めるに当たって、僕は一応は「この猫もいつかは亡くなる時が来る」と覚悟を決めて、
それは家族や知人を亡くすのと同じで、どんなに悲しい現実でも受け入れなきゃいけない、
必ずやって来るその現実を、予め受け入れておかなきゃいけない、そう自分に言い聞かせたんだよね。

夢だった猫の飼育は想像以上に愛おしく楽しく、
んな中でも僕は時々、いつかは別れがやって来るんだ─と思わなきゃいけない─…。それを思い出してました。

んな幸せな日常に、突然起きた一昨日の“猫の病気”。
一刻を争うってな現実に、心ん中ではうろたえながらもとにかく行動しなきゃと然るべき措置をして、
昨日の朝は一応は安心しても良いんかなくらいの状況となって、
そっからアルバイト帰宅を過ぎて一晩、ホントに病気が治って行くんかなと心配しながらボレロを注視してました。

現実的なことだけ言うと、
何度も何度も頻繁にトイレに行く、でも大も小も出ていない、
客観的様子はこれで、考えられる原因として、初めは命に関わる病気として尿路結石や尿道閉塞の恐れがあると判る、
慌てて病院に行き診察してもらった結果、膀胱には尿は溜まってない、なのに尿意をもよおしてるってことは膀胱炎ではないか、
注射を打ってもらって、もし次にトイレに行った時におしっこが出ればまずは尿道は詰まってない、
経過を見て普通におしっこが出れば、膀胱炎自体は2〜3日で治る、んな状況だったんだけども、
飼い猫の症状はお陰様で良くなってるとは言え、今度は僕自身が“想像ペットロス”になっちゃったんだよね。

これはまず、
一度“命に関わる”“一刻を争う”みたいな文言で肝を冷やしたってのが大きい、
んで、結果的にはまずは一安心となったんがまた、安堵の後の思い出し不安というか、
結果が良かっただけに余計「良かったぁ〜」の思いが強く、その反動で“もしもこれが尿道閉塞だったら”なんて想像しちゃって、
「ボレロが死んじゃうなんて考えらんないっ」と、
起こってもいないことに無駄に心を痛めちゃう、そういう現象なんじゃないかと思うんであります。

病気を経てなきゃ普通の心配、既に一応は覚悟した心配だったところ、
死を意識した病気を経たことによって、死がより現実的なことととして感じられる様になった、
今の僕はんな状態なんだと思います。

ただね、こうも思うんだよね。

逆に言えば、もし過日の経験がなけりゃ、僕は“ペットもいつかは亡くなる”ってな事実を、
なんちゅーか、軽い覚悟で済ませてたんじゃないか…と。

無感情に事実だけを言えば、人も含めて生き物はやがて死ぬという現実がある、
理屈としてそれを認識はすんだけども、かと言って今日明日にそれがやって来る訳でもない(少なくとも日常は)、
そのせいで、いつかは来る別れを認識はしてるけどリアルには感じてない、
でも、(良くないことだけど)病気になったボレロを目の当たりにして、またおしっこが出るかどうかドキドキして、
飼い猫の“死”を一旦はホントに意識しただけに、自分の覚悟の軽さを思い知った、
んな風にも思うんであります。

ボレロと出会う前から、僕は世にある猫動画を色々観てたんだけども、
ん中で2件、可愛い飼い猫の日常をUPしてたら一匹の猫は老衰、もう一匹は昨日まで元気だったのに突然亡くなる、
んなケースを観たことがありました。

僕は、時々その二匹の動画を観てただけに、
亡くなりましたの知らせを見た時は、さすがに「そうですか」では済まず、結構な時間ショックに引きずられました。
他人の猫の動画でさえそうなんで、
もし自分の飼い猫が亡くなったら、僕は自分が想像出来る自分の状態よりももっと酷く狼狽しちゃうんじゃないか、
んな心配もする様になりました。

僕が今思うことは、こういう心配を“後にする後悔”として戒め、
より猫が健康に暮らせる環境を守って行く、その努力をすることが大事だなあってことで、
いわば心配するという行為を一つの原動力とする、それしかないかなあなんて思ってます。

金曜日に病院に行き、とりあえず数滴なれどもおしっこを確認、そっから徐々に量も戻って来て(あんま水を飲まないってのもある)、
昨日土曜日には“いつもより多めにトイレに行くけどおしっこは出てる”となり、
今朝はもう、お陰様で普通の頻度で普通の量でおしっこをする様になりました。

ご心配をお掛けしましたが、何とか大丈夫のようです。



んじゃまた明日!


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